2016年1月26日 (火)

40年

 40歳になった。素直に嬉しかった。

 このブログを書き始めた頃は31歳。当時は毎日のようにゲーセンで麻雀格闘倶楽部を打ち、それをブログに書く。そして、いつからかブログを書きたいが為にゲーセンに行く。これの繰り返しだった。

 そんな30代を思い返してみれば、前半はまるで暗闇を彷徨っているかのような5年間で、微かな光だけを頼りに歩いてきた。そんな感じ。

 後半の5年間は、生まれ変わったかのように太陽の光を全身に浴び、もうゲーセンを必要としない身体になった。趣味も増えたし、新しい仲間も増えた。当時は全盛だったブログも、今はSNSの短文全盛時代。長い文章を書いても、読む人は少ないであろう。

 趣味の変化。そして、ブログの衰退。このブログを更新する機会も無く、自分にとってのブログの役目は終えている。今までありがとう。

 あれだけ打ち込んでいた麻雀格闘倶楽部も、今となってはほとんど打つ機会は無いのだが、2016年になってから3回ほど遊んできた。感想は、何もない。書きたいことも無い。

 他の方のブログを拝見したところ、麻雀格闘倶楽部そのもののゲーム性がつまらなくなっているらしいが、本当にそうなのだろうか。私にとっては、ゲームが変わったのではなく、私自身が変わったように感じる。

 物事には卒業するタイミングがある。ガキの頃には楽しかった遊びも、大人になるとあまり楽しめないこともある。麻雀格闘倶楽部は永遠に楽しいゲームだと信じ、小生が大人になって卒業したから、そのゲーム性を楽しめなくなってしまったと信じておこう。

 さて、40代が始まった。どこまで生きられるかわからないが、また新たなブログを書きたくなるような、そんな出会いがあることを願いつつ、必死に楽しく生きていこう。そう心に誓った誕生日の夜。
 

2015年7月17日 (金)

反町たんたん

2015年7月17日(金)

 台風11号が四国に上陸し、台風から遠い関東地方でも、時より強い風雨が吹き付けた。

 悪天候の中、無事に外回りの仕事を終え、いわゆる花の金曜日。今日は外で日本酒を飲んで帰る予定だったのだが、相手にドタキャンされてしまった。残念無念。

 さて困った。一人で寂しく晩メシを食ってやろうじゃないか。京浜急行の神奈川駅で下車し、目当ての人気ラーメン店へと、ひたすらに歩く。ようやく見えてきたが、灯りが無い。シャッターに貼ってある紙を見れば、台風の影響により臨時休業だそうで、本日2度目の残念無念。

 その近くの他のラーメン屋は、外から店内を見るだけで通過。もういいや。腹が減っては戦が出来ぬ。が、戦はしないから腹が減ってても良い。

 そんなくだらないことを考えながら、晩メシを諦めて反町駅周辺に到着した頃、あの店が脳裏をよぎる。

 反町たんたん。そうだ!たんたんに行こう。

 思い出の味である『肉ネギ炒め』とライスを注文した。

 2001年。専門学校の新人講師だった頃、月木の夜の講義が終わると必ず、先輩や同僚と一緒にこの店でメシを食べて帰っていた。

 授業が上手くできない、次の講義の準備が進まない、そんな悩みを聞いてもらっていたことを思い出す。

 あの頃は、兎に角つらくて、苦しくて、逃げ出したくて、それなのに今になって思い出すと日々が楽しくて、充実してて、懐かしく感じてしまう、なんとも不思議な4年間だった。

 この店を最初に教えてくれたのは時田先生。当時の社歴で言うと私より3つ上。職場では上司からも後輩からも愛される人で、私にとって憧れの先輩だった。

 その時田先生が病でこの世を去って、もう4年半の月日が流れた。教えてもらったことは今でも自分の教訓として生きているし、あの笑顔も忘れない。

 私が時田先生を超えることができたのは、年齢だけだ。

 肉ネギライスを食べていたのは、たった10分ほどの時間だったが、多くの思い出が蘇り、14年前にタイムトラベルしたかのような、そんな不思議な金曜日の夜。

2015年4月29日 (水)

辛口

 日本酒を好んで飲むようになって10年以上の月日が流れた。あれだけ好きだったビールは、今となってはコップに1杯で満足してしまう。

 様々な日本酒を飲んできた。本やネットで日本酒についても調べてきた。それなのに、まだわからないことがある。

 それは、『辛口』という言葉だ。

 日本酒の話になれば、当然のように『辛口』という言葉が登場する。どういう日本酒が辛口なのか、私にはわからない。ボンカレーの辛口ならわかるのだが。

 日本酒に詳しい友人に説明してもらったところ、『甘口』の反対だと考えればいい、と教えてくれた。なるほど。からしのように辛いわけではないらしい。

 そうなのであれば、なおさら理解できないのは、その『辛口』が人気があるという点だ。米から作っているのだから、米本来の甘みがある方が美味しいと私は思っているのだが、どうやら世間は違うらしい。

 
 飲みの席で、「日本酒が好きです。」と公言すると、「私も日本酒好きです。」という人から、

 「おすすめの日本酒を教えてください!」

 と言われることが多い。私の好みを押しつけるわけにもいかないので、「どんな日本酒が好きなんですか?」と聞いてみると、

 「辛口が好きです!」

 出た。困った。私は『辛口』がわからないのだから。
 
 さすがに「辛口のボンカレーでも食ってろ。」と言えるほどのセンスは持ち合わせていないため、友人に教わったとおりに『甘口』ではない日本酒を思い浮かべ、それを伝えることになる。

 一度でいいから見てみたい、「甘口が好きです!」という人を。歌丸です。

2015年1月 4日 (日)

2015

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

 大晦日は、仲間と共に大井競馬場にて1年の締めくくり。馬券は当たらなかったが、狙っていた穴馬が見せ場を作ってくれたので、楽しむことができた。好運は他で使うことにしよう。

 その後、友人宅でおせち料理をご馳走になり、たほいやを1戦。ここでは見事に勝利を収め、有終の美を飾ることが出来た。ありがとう。

 22時頃に自宅へ戻り、ニコニコ生放送の電王戦リベンジマッチを見ながらの年越しと相成った。終局が見えずに朝4時を過ぎ、さすがに就寝。

 元日は、兄家族4人が実家へやって来た。おせち料理で日本酒を堪能。昼から飲んでいたため、19時には寝てしまった。

 2日、3日は毎年恒例で箱根駅伝をテレビ観戦。

 そして年末年始休みの最終日となる1月4日。朝から仕事へ向かう母を職場まで送迎し、一度帰宅してから横浜駅へ。

 浜虎の鶏塩そばが無性に食べたくなり、店に向かってみたが15人ほどが行列を作っていたため断念。

 こうなると困ってしまう。腹は減ったし、口はラーメンを欲している。仕方なくヨドバシカメラの地下にある清正に向かったが、こちらも行列。並んでまで食べるほどではない。

 ここも諦め、徒歩10分以上も離れている維新商店へ向かう。とくに何も考えずにテクテクと歩き、ようやく到着したが『定休日』の3文字。してやられた。

 さて困った。もう食べたい店が無い。しかし、口はラーメンを欲し続ける。岡野町方面へ移動し、八起も開いていない。辿り着いた先は、山頭火だった。

 とにかくラーメンで腹が満たされればそれでよい。黙々と食べて、お会計。

 近くのファミマでカフェラテを購入し、手を温めながら変わりゆく横浜を散策。20代の頃に使っていたバーや居酒屋が今も営業していることが確認でき、嬉しい気持ちで横浜駅中心部へと舞い戻った。

 さて、今日はブログを書くことを決めている。となれば、あのゲームを少しだけ打っていこう。

 T店へ入り、いざ麻雀。カードをかざし、100円玉を投入する。選んだモードは東風リーグ。彩の華?よくわからんが、麻雀ができればそれでよい。4戦して、

 2.3.2.4

 2戦目、ツモ四暗刻テンパイまで辿り着いたが、残念ながら流局。4戦して見せ場もなく、最後は綺麗に負かされて終了。やれやれ。

 横浜駅東口に移動。そごうで日本酒を購入し、今年も寂しい年始休みが終わろうとしている。

 最後に2015年の目標を自分のために書いておこう。

◆フルマラソン4時間53分以内でゴールする。
◆相続税の勉強を本気で始める。
◆日本酒仲間を増やす。


 

2014年12月26日 (金)

打倒

2014/12/26(金)晴れ

 忙しく過ごした年末の業務も一段落し、夕方から役所を巡り、最後に横浜のお客様に書類をお渡しして2014年の仕事を無事に終えた。

 『良いお年をお迎えください。』

 当たり前のフレーズかもしれないが、この言葉は、言うにも聞くにも心地良い。

 良いことばかりではないけれど、とにかく一年を無事に過ごすことができたことを実感する。あと何回、この言葉を言うことができるのか、それも人生の楽しみの一つ。

 さて、横浜のお客様の事務所を出たのが17時半。数年前の小生であれば、間違いなくゲーセンへ直行し、缶コーヒーを片手にタバコを一服。長年の習慣とは怖いもので、何も考えずに自然と足が向かうことになっている。

 しかし、今日の私は違った。依存症は克服できるのだ。強烈に押し寄せる誘惑と戦いながら、真っ直ぐに電車のホームに向かったのである。

 これには訳がある。麻雀格闘倶楽部に依存していた頃は、とくに『これ!』といった目標が無かったのだが、今は違う。どうしても達成したい目標がある。

 その目標とは、次に参加するフルマラソンで4時間53分を切ること。

 話は高校時代にまで遡る。私は陸上部の長距離部に属していたのだが、中学時代に痛めた膝や足首が治らず、ほとんど練習ができなかったため、ただいるだけの存在で3年間が過ぎ去った。

 そんな私とは対照的に、キャプテンだった男は800m走で全国大会まで行ったスーパースター。月とすっぽん。雲泥の差。あれから20年が経過した。

 2014年秋。数年ぶりに横浜で一緒に飲む機会があった。キャプテンだった男は、昨年から継続して湘南マラソンに参加していることを知ったため、

 『いつの日か、フルマラソンで同一年度のお前の記録を上回る!』

 横浜の居酒屋で高らかに宣言をした。これが私の現在の目標である。

 彼には一度も勝ったことがない。いや、勝負すらできなかった情けない青春時代。このままでは負け犬で人生が終わる。せめて一矢を報いたい。負け犬にも吠える権利はあるのさ。

 麻雀格闘倶楽部で遊んでいた時期も楽しかったが、あれは嫌な現実から数時間だけ逃避するのに最適なだけで、とくに達成感は無かった。

 今は、過去の忘れたい記憶、情けなかった陸上部時代から逃げずに、戦うことを決めた。絶対に勝つ。そう自分に言い聞かせて、肌寒い夜空へ駆けだした冬の一日。

 p.s. タカ兄、郵便物ありがとう。

2014年9月30日 (火)

 ・出る杭は打たれる

 すぐれてぬけ出ている者は、とかく憎まれる。また、さしでてふるまう者は他から制裁されることのたとえ。(広辞苑より)

 私が予備校に通っていた頃、当時の人気講師が講義の中で、このことわざに対し、『出る杭は、打たれても出る!』と力説されていたことが、懐かしい記憶として残っている。

 その6年前、12歳の頃。『杭は、出る前から打たれる。』という実体験を書きたいと思う。


 中学校の入学式を終えた数日後。私は小学生時代からの友人のS君と一緒に職員室に向かっていた。右手に、陸上部への入部届の紙を握りしめている。

 緊張しながら職員室の戸を開け、中に入る。陸上部の顧問がどこにいるのか判るわけもなく、おそらく近くにいた名も知らぬ大人に聞いたのであろう。教えられた方向に進み、顧問の先生に陸上部への入部届を持ってきた旨を伝えた。

 それまで笑顔だったその陸上部の顧問は、私が提出した入部届を見た途端、眉間にシワを寄せ、表情を曇らせ、職員室中に轟くような大声で叫んだ。


 『おーい!羽島先生!拓先生!』


 職員室中の大人がこちらを振り向き、パンチパーマの男と、おそらく拓先生なる大人が駆け足で近寄る。


 『関先生、どうしたの?そんな大声出して?』

 『これ見てよ!』


 私が提出した入部届を大男3人が睨み付け、すぐさまその眼光は、12歳の私に向けられた。


 『お前が○○の弟か?今年入学することは知ってたぞ。まさか関先生の陸上部に入りたいとは度胸がいいな!お前だけは不良にさせないからな!』


 目の前のパンチパーマの男が大声で罵る。私は、なんとなく状況を理解することができたが、友人のS君は目が点のまま私を見つめていた。


 私は、男3人兄弟の末っ子として育った。8歳上と6歳上の兄がいる。6歳上の兄が中学校を卒業して3年後に、私は同じ中学校に入学したのである。

 幸か不幸か、私の名字は地域的には珍しい存在であるため、パンチパーマの男は、『あいつの弟!』だと入部届を見ただけで判断することができたのである。

 6歳上の兄は中学生時代に不良だった。いや、40代の現在も不良なのかもしれない。本人は、『やんちゃだっただけ。』と否定しているから、やんちゃだったことにしておこう。

 そのやんちゃだった兄に、関先生もパンチパーマの男も大変迷惑を被ったようで、その弟の入学が、悪夢の再来かのように感じている様子であった。

 そう、これこそが『杭は、出る前から打たれる。』の実体験である。


 数日後、何事もなかったかのように陸上部へ入部し、普通の中学1年生として過ごしていた1月の上旬。奇しくも、そのパンチパーマの男の授業中に、担任から呼び出しを受けた。


 『御家族から電話だ!急げ!』


 言われるがままに受話器を耳に当てる。電話の相手が誰だったかは覚えていない。もしかしたら、その6歳上の兄だったかもしれない。父が危篤状態とのことだった。

 中学校から徒歩10分ほどの場所にある病院までダッシュした。泣きながら走っていたような記憶もあるが、とにかく必死に走った。病室に到着すると、すでに人工呼吸器に繋がれた父がベッドに横たわっている。

 数日後に行われた通夜には、関先生もパンチパーマの男も参列してくれた。法事を終え、中学校の普段の生活に戻った私に対し、2人とも優しい言葉を掛けてくれた。


 中学2年の3学期、突然パンチパーマの男から職員室への呼び出しを受けた。悪いことをした覚えはない。不安な気持ちを隠しきれないまま、私は職員室のパンチパーマの男の前に立った。


 『この学校から、お前を奨学金の対象者として推薦したいと思っている。』


 14歳の脳味噌には到底理解できない内容だったが、よくよく聞いてみると、母子家庭を支援する奨学金があり、この中学校から1人だけ推薦できるその制度に、正式に君を推薦したい、とのことだった。


 『他の中学校からも推薦者がいるだろうから、必ず奨学金が貰えるという保証は無いんだが、推薦させてくれ!』


 なんとも有り難い話だというのに、当時は職員室で緊張していたため、愛想無い態度を取ってしまったが、この文章を書いている今、涙が頬をつたっている。

 入学早々、出る前から打たれたはずの杭を、今では倒れそうな杭を先生たちが支えてくれていた。あの恩は今も忘れてはいない。忘れてはいないのだが、恩返しすることも出来ていない。『ありがとうございました!』の一言さえ伝えていないのである。

 いつの日か、感謝の言葉を伝えられる日が来ることを願う。それまでは、すべてのことに感謝する気持ちを忘れずに、懸命に生きていこうと誓った秋の夜長である。

2014年8月18日 (月)

 暁。『夜を三つに分けた第3番目。宵・夜中に続く。現在では、やや明るくなってからを指すが、古くは、暗いうち、夜が明けようとする時。よあけ。あけがた。』広辞苑より。


 この字を見ると、『あかつき』と読む人が多数であろうが、小生は20年ほど前から『さとる』と読んでしまう。


 彼との出会いは大学時代。英語の授業を受けるためだけに設けられたクラスが同じであった。最初から仲が良かったわけではないが、彼の面白さに気付くまでに、多くの時間はかからなかった。

 クラスのリーダー的存在の男を中心に、彼も私も集まり、いつしか一緒に焼き肉を食べたり、酒を飲むようになった。大学を卒業して15年が経過した現在でも、年に1回は男数人で集まり、みんなで一緒に酒を飲んでいる。


 あれは大学4年の頃であろうか。その仲間の男3人で、酒を片手に彼の家を訪問した。私の記憶が確かであれば、事前の連絡をしていない突撃の訪問だった。

 家に入り、酒を飲み、将棋や麻雀をやったような記憶があるが、酔っていたので曖昧だ。始発が動くまでお邪魔した記憶だけは確かに残っている。


 『明日の朝、答練があるから帰ってくれ。』


 彼は大学在学中から公認会計士の資格を取得するため、資格の学校にも通っていた。本来ならば、答練のための勉強をするべき時間に、勉強の邪魔だけではなく、寝る時間すら奪った馬鹿な男3人。今となっては笑い話かもしれないが、恨まれていてもおかしくはない。

 一睡もせずに夜が明け、まさに暁の時間帯に彼の家を出発し、徒歩10分ほどの横浜駅へ男4人で歩いて行く。駅に到着し、またな!とお別れ。馬鹿3人衆は各々の電車の改札へ向かい、彼は専門学校へと向かっていった。

 歩いて行く彼の背中を見たとき、敗北感と罪悪感に襲われた。まじめに勉学に励み、将来を見据えて資格の取得を目指す男がいるというのに、自分はパチスロ等に明け暮れ、将来を考えることすら放棄している。

 これではダメだ。自分もまじめに頑張らなければ、遠い将来で差が広がってしまう。そう思った。

 その日から、己の重い腰を上げるまでに丸1年を要してしまったが、自分は税理士の資格を取得しようと一念発起し、現在に至る。まだ税理士の資格は取得できていないが、あの日の想いのおかげで現在の仕事に就くことができた。そう、すべては彼のおかげなのである。


 最後にもう一つ、彼に懺悔したいことがある。数年前、彼の披露宴に招待され、参加する予定であったのだが、前日にインフルエンザを発症し、急遽欠席してしまったこと。本当に申し訳ない。

 そして、この文章を書いていて思い出した。それは、その披露宴で渡すはずであったお祝いをまだ渡していない。今更感が否めないのだが、来年の新年会で会った時に渡すことにしよう。

2014年7月25日 (金)

火星再来


 たまには麻雀格闘倶楽部のことについて書こう。

 いつからか麻雀格闘倶楽部の熱が冷め、それに伴いブログの更新が滞り、4年ほど経過したであろうか。

 しかし、依存症というのは怖いもので、少なくとも月に1回程度は打ち続け、現在に至っている。

 ここ3年くらいは競技卓しか打っていなかった。ライフ制で入場し、とにかく堅く打ち、安いゼニで遊ぶことに生き甲斐を感じていた。

 現在のリーグ制度のルールすら知らない2014年7月。仕事帰りにタバコが吸いたくなり、関内のM店へふらっと立ち寄った。ここは10年くらい前に狂ったように通った店だ。

 この店の最大の特徴は、ライフ制でNEXTゲームになった際、減ったライフが満タンの状態に戻って新しいゲームに入ることが出来るのだ。

 しかも、東風であれば、NEXTゲームの条件は20,000点以上。つまり、ライフ8,000を使い切らずに原点を維持することができれば、100円でずっと打ち続けることが出来るのだ。このルールが麻雀馬鹿を熱くさせる。

 若かったあの頃を思い出しながら100円玉を投入し、なんとなく東風リーグに参戦した。リーグに参戦するのは4年ぶりであろうか。ずっと放置していたため、クラスはAⅠ。

 規定対局を終え、NEXTリーグとか言うクラスに昇格するらしい。その翌週、NEXTリーグを打ち終え、懐かしい響きのSリーグに昇格した。

 久しぶりにリーグ戦を打った感想を率直に書く。


 『あの頃に似ている。』


 以前、鳳凰リーグが創設されたことにより、戦いが1ヶ月単位となった。小生のMFC熱が冷めた理由の一つである。結果的に1ヶ月は長かった。小生が最も麻雀格闘倶楽部にハマっていたMFC2。この時代は1週間単位であったため、週末は納得できるポイントが出るまで、又は、閉店まで鬼打ちし、月曜日の結果発表で一喜一憂したものだ。

 現在のルールだと、おそらく10年前の小生のように、狂ったようにゲーセンに通うファンが増えているのではないだろうか。月曜日に打ち始め、成績が悪ければ日曜日に鬼打ちをする。それの繰り返し。でもそれが楽しい。そして廃人と化す。

 まだリーグに復帰して3週間であるが、またMFC熱が再燃してしまいそうで怖い。とりあえず東風リーグだけに参戦し、ほどほどに楽しむつもりである。

2014年7月13日 (日)

たほいや2014.7.6

◆1戦目(ウルトラたほいや)

第1問:【はなこ】
1.湧き水
2.花を入れる籠
3.花を売る人
4.花の種子の総称
5.屋久島にある湖

第2問:【にじょうだい】
1.京都所司代
2.二条城へいたる城下町のこと
3.港へ集められた荷を整頓、管理等に係わる役職
4.シベリア沖でとれる鯛
5.歌舞伎の大道具。 二畳ぐらいの広さの平台

第3問:【じまま】
1.その土地でのみ食されている食材で、主に穀類を指す
2.自分の思いどおりにするさま
3.セリ科の多年草
4.広間と奥間の間
5.島と島との間に流れる海流のこと

第4問:【みぞかくし】
1.頭頂から丹田のちょうど真ん中あたり
2.サルスベリの別称
3.キキョウ科の小型多年草
4.滝水に打たれる修行のこと
5.月の終わりに髪を整えて身なりを正す


【解答=広辞苑】
第1問:2
第2問:5
第3問:2
第4問:3

2014年6月17日 (火)

たほいや2014.6.15

◆1戦目(ウルトラたほいや)

第1問:【いえのも】
1.主が死亡してから喪が明けるまでの期間をいう。
2.モウセンゴケの別称
3.大黒柱からのびる梁のこと
4.家のもの
5.家にいる妻

第2問:【べんべん】
1.民謡に合わせて弾く三味線のこと
2.長たらしいさま
3.嘘つき
4.三味線の音
5.スコッティー科の多年草

第3問:【いちはらの】
1.千葉県市原市
2.歌舞伎舞踊
3.市原原野の俗称
4.市場
5.スペイン南部の静養地

第4問:【たなしり】
1.一段ずつ重ねゆくさま
2.山ぎわ
3.北海道釧路市
4.吉祥天女が住むとされる世界
5.つき出た形の尻


【解答=広辞苑】
第1問:5
第2問:2
第3問:2
第4問:5


◆2戦目(ウルトラたほいや)

第1問:【まんごしいわい】
1.神社に奉納する酒のこと
2.沖縄県与那国島の収穫祭
3.婚姻を結んで一万日目に行う祝いのこと
4.大漁祝い
5.たたみいわし

第2問:【どくながし】
1.独身のまま生涯を終える者のこと
2.読み流すこと
3.ピストニ剤
4.川に毒を流して魚をとること
5.詠唱する

第3問:【おにしみず】
1.滝
2.狂言
3.勢いのある滝水のこと
4.山わさびの別称
5.スズラン科の一年草

第4問:【やつお】
1.ニレ科の常緑高木
2.暮れ八つ時に同じ
3.多くの山のみねつづき
4.空想上の動物
5.赤いポスト


【解答=広辞苑】
第1問:4
第2問:4
第3問:2
第4問:3

2014年6月11日 (水)

小さな冒険

 平成元年8月。父が他界してから初めて迎える中学2年の夏休み。新盆の法事に参列するため、父が生まれ育った鹿児島県指宿市まで、母と私の2人で行くことと相成った。

 お盆の時期ということもあり、飛行機も寝台特急もチケットを取ることができず、困り果てた母は駅で事情を説明すると、名古屋-西鹿児島間の臨時特急があることを駅員さんから教えてもらったそうだ。そのチケットを手に、2人で鹿児島へ向かうことになる。

 出発当日、13歳の少年は遠足気分だった。もともと電車が大好きで、しかも聞いたこともない臨時特急に乗れるとなればテンションは最高潮。もはや法事のことなど気にもしていない。

 うだるような夏の陽射しの中、まずは新子安駅から新横浜駅に移動し、新幹線で名古屋駅に到着した。ここまでは楽しかった、ここまでは。

 臨時特急の発車時刻までは小一時間。母が、数日前にテレビで見た駅弁特集で1位になった弁当が食べたいと言う。もちろん反対する理由もなく、一緒に駅構内の弁当売り場を探した。しかし、どの売り場にも目当ての弁当は見当たらない。それでも諦めない母。発車時刻寸前まで探したが手に入れることはできず、少量の菓子とお茶だけを購入して臨時特急に乗り込んだ。


 『残念だわ。どうしても食べたかったのに。しょうがない。弁当は車内販売で買えばいいわよね。』

 『そうだね。』


 臨時特急は定刻にゆっくりと動き出した。寝台列車ではなく、クッション性の少ないカチカチの椅子で、リクライニングを倒そうとしても10cmくらいしか動かない。これで十数時間の長旅をするのかと思うと、最高潮だったテンションも萎んでくる。

 名古屋駅を出発してどれくらい経過したであろうか。車窓の外は暗くなり、お腹が空いてきた頃、車掌の車内アナウンスが聞こえてきた。途中駅の到着時刻を読み終え、最後の言葉に愕然とした。

 
 『なお、車内販売はございません。』


 終わった。目当ての弁当がどうしても食べたかった母は、代わりの弁当を買っていない。あるのは少量の菓子だけ。時間が無かったのならまだしも、1時間近く駅構内の売り場を歩き回ったのに、手元に弁当は無い。ふて腐れる少年、謝る母。ほぼ無言のまま、臨時特急は西へと走る。

 いつしか眠りにつき、気付けば朝を迎えていた。腹ペコだ。

 途中停車駅のうち、停車時間が少しだけ長い駅にてダッシュで駅弁を買いに行き、約20時間ぶりの食事をとることができた。機嫌を直す少年、安心する母。臨時特急は西から南へと進路を変えた。

 車窓の外は長閑な風景が続き、母と他愛のない会話を続けている。亡き父の思い出話をしたような気もするが、もう25年も前の話だ、細かい会話までは残念ながら覚えていない。

 ようやく臨時特急は終点の西鹿児島駅に到着した。くたくたな身体に鞭を打ち、今度は指宿枕崎線へと乗り換え、目的地の指宿駅まで約90分。やっとのことで父が生まれ育った指宿市に辿り着くことができた。この時の達成感だけは忘れない。


 数日後、新盆を終え、母は仕事があるため先に帰ることになっており、少年は折角の機会だからと祖父宅に泊まらせてもらうことになっていた。

 一週間後の帰りのチケットを母から受け取り、母は少年を鹿児島に残して1人で立ち去った。

 少年は3人兄弟の末っ子であったが、兄とは歳が離れているため、限りなく一人っ子に近い性格をしている。祖父宅にて一人で遊んでいても、寂しさを感じることはない。庭でゲートボールを使った遊びを自分で考え、陽が暮れるまで一人で遊んだ日もあった。

 たくさんの親戚にも会わせてもらった。その全員が、父と少年がとても似ていることを喜び、そして、涙した。

 あっという間に一週間は過ぎ去り、いよいよお別れの日。母から受け取ったチケットを改めて見てみると、往路と同じ西鹿児島-名古屋行きの臨時特急の特急券と、横浜市内までの乗車券だけ。これだけあれば息子は必ず横浜まで帰ってくる、母はそう思っているのだろう。13歳の少年は、母から大人の扱いを受けていると考え、喜んだ。

 お世話になった親戚の皆様にお礼を言い、指宿駅を出発する。いとこのお姉ちゃんが西鹿児島駅まで同行してくれた。西鹿児島駅前で白クマアイスをご馳走になり、弁当も買ってくれた。今度は大丈夫、同じ過ちは繰り返さない。大きなリュックを背負い、右手に弁当を握りしめ、臨時特急に乗り込んだ。お姉ちゃんに手を振ると、列車は動き出した。小さな冒険の始まりだ。

 隣の席は誰もいない。車内は6割くらいの乗車率だったであろうか。静かな車内で、買ってもらった弁当を黙々と食べる。横浜まで無事に帰れるのだろうか。名古屋駅からどの電車に乗ればいいのだろうか。13歳の少年の心は、不安な気持ちで一杯になった。

 夜も更け、乗客のほとんどが寝ているようだ。だが、少年は眠れなかった。たった一人、もし寝ている間に荷物を盗まれたらどうしよう。リュックを両腕で抱き締め、目だけを閉じて時間が過ぎていく。結局、一睡もできずに朝を迎えた。

 祖父宅での一週間では寂しさなど微塵も感じなかったというのに、車内で一人、寂しさで震え、涙も流していた。

 十数時間後、ようやく臨時特急は終点の名古屋駅に到着した。さて、本当の冒険はここからだ、泣いている場合ではない。駅構内の立ち食いきしめんで腹を満たし、いざ出陣。

 いきなり困った。名古屋駅のホームは数が多く、どのホームのどの電車に乗ればいいのか皆目見当がつかない。『○○方面』と書いてあるが、その○○の地名が西か東かもわからない。仕方なく駅員さんに聞いてみた。


 『すいません、横浜に行きたいんですけど、どの電車に乗ればいいですか?』

 『あぁ、新幹線ならあっちだよ。』

 『いや、鈍行で帰りたいんですけど。』

 『は?』


 そりゃ驚くはずだ。大きなリュックを背負った13歳の小さな少年が、名古屋から横浜まで鈍行で帰ると言っている。現代なら保護されるレベルかもしれない。それでも駅員さんは親切にホームを教えてくれた。お礼を言い、そそくさとそのホームへと向かう。

 しかしここでも困ってしまう。そのホームには、新快速・快速・普通の3種類の電車があった。新快速の車両は格好良いから、特急券が必要なのかもしれない。近くに駅員さんもいない。とりあえず普通電車の岡崎駅行きに乗ってみた。

 途中駅で当然のように新快速に追い抜かれる。とにかく進むのが遅い。このペースで横浜まで到着できるのか不安になる。やっと岡崎駅に到着する頃、車内アナウンスを聞いていると、『お急ぎの方は新快速をご利用ください。』と言っていた。

 そうか、よく考えてみれば、地元の京浜急行は特急券が無くても快速に乗れる。もう少し早く気付くべきだった。後悔先に立たず。

 岡崎駅から新快速の豊橋駅行きに乗り、東へ急ぐ。名古屋駅周辺に比べると閑散としてきた車内で、一人の昔のお嬢さんから声を掛けられた。


 『ボク、どこから来たの?』

 『鹿児島です。』

 『へー、遠くから来たのね。どこまで行くの?』

 『横浜です。』

 『新幹線に乗り換えるの?』

 『いえ、乗車券しかないので鈍行です。』

 『え?』


 また驚かれた。このとき少年は、豊橋付近から横浜までの距離感を理解していなかった。なんとなく、いや、きっと着くはず。母が用意してくれた切符なのだから、必ずその日のうちに着くに決まっている。漠然とした自信は、イコール母への信頼であった。


 『遠いから気を付けるのよ。』

 
 昔のお嬢さんはそう言って、一粒の飴をくれた。少年は受け取ると同時に泣き出した。ここまでずっと周りを警戒し、緊張の糸を張り続けていた。初めて声を掛けられ、優しさに触れた途端、涙を流してしまった。早く母に会いたい。改めて思った。

 豊橋駅から浜松駅行きの電車に乗り継ぐ。記憶が確かであれば、この辺りから横浜周辺の東海道線と同じ車両が登場し、もうすぐ『東京』行きの電車があるのでは、と勘違いしたことを覚えている。

 ここからしばらくは、終点→乗り継ぎを繰り返す。今、自分が静岡県のどの辺にいるのか知る術もなく、リュックを抱き締め、車窓を眺める。

 今日中に横浜まで着くのだろうか。そんな不安が爆発しそうなほど疲れ果て、ようやく熱海駅に到着し、次の乗り継ぎの電車を見たその瞬間、待望の2文字が目に飛び込んできた。


 【東京】


 やった!ついに東京行きの電車だ!この電車に乗れば確実に横浜まで着く。少年はホームに膝を突き、顔の前で両手の拳を握り締めて喜んだ。

 車内は混み合っていたが、なんとか座ることができた。そして、今までが嘘のように眠りについた。

 目が覚めると、電車は大船駅に到着したところだった。横浜まで、あと2駅。車内は混雑していた。

 リュックも無事だし、乗車券もある。よかった。早く母ちゃんに会いたい。

 横浜駅で京浜東北線に乗り換え、新子安駅へ。一人で無事に帰って来ることができた。いままでお世話になった乗車券を駅員さんに手渡し、駆け足で自宅へ向かう。

 鹿児島から一人で帰ってきたことを、母ちゃんや兄ちゃんに褒めてほしい。その一心で、無我夢中で走った。3階の自宅まで階段を駆け上がり、ドアノブに手を掛ける。

 しかし、残念ながら鍵が掛かっていた。鍵を開け、中に入ると、玄関の床に一枚の紙が置いてあった。


 【盆踊りに行ってきます。母。】


 少年は膝から崩れ落ち、こうして13歳の小さな冒険は終わったのである。

2014年5月29日 (木)

北の惨劇

5月某日

 いつもより少し早くに仕事が終わり、18時頃に横浜駅へと到着した。無性にタバコが吸いたくなり、ファミマのアイスコーヒーを片手にゲーセンT店へと向かう。

 タバコに火を点け、いつもの競技卓へ。4人は集まらず、黃龍1名・プロCPU・普通のCPU・自分で闘牌開始。

 起家で始まった東1局、ベタオリで流局。親が流れた東2局に悲劇の舞台が用意されていた。

 牌が配られた直後、下家の親であるプロCPUから立直の声。切られた『東』が横を向いている。やれやれ。

 対面の黃龍は『南』、上家のCPUは『中』を切る。さて、小生の番だ。バラバラの手牌の中に字牌は2つ。現物である『東』、『南』、『中』は無く、手許にあるのは『發』と『北』。

 さあ困った。数牌を切る勇気は無く、『發』は役牌だ。消去法的に考えて、あの牌に指が伸びる。


 ・・・北・・・


 プロCPU『ロン!、ダブル立直、ドラ2』

  ※競技卓では『一発』という役は存在しません。


 競技卓では痛恨の一撃に匹敵する12,000点の放銃と相成った。おそらく似たような局面であれば、何度やっても『北』を切るであろう。ただただ虚しい限りだ、仕方がない。

 その後、2着まで5,300点の位置まで頑張ったものの、やはり競技卓での12,000点のビハインドは苦しく、結局は最下位で終了。タバコを吸い、無事にアイスコーヒーを飲み終えたことに小さな幸せを感じながら、この1局で店を後にした5月の晴れの木曜日。

2014年5月 2日 (金)

母の背中

 中学校に入学して3日目の朝、厳格な父がトイレで倒れた。たまたま近くにいた私がトイレの扉を開けると、便器がどす黒い血で染まっていた。

 すぐに救急車を呼び、父は病院に運ばれたが、10ヶ月の闘病生活の甲斐もなく、みんなに囲まれて旅立った。享年48。私は12歳だった。

 無事に葬式を終え、ふと不安に感じることがあった。それは住まいのこと。当時、新子安駅近くの社宅に住んでいた。父が死亡退職したのだから、もう社宅に住むことができないのではないか。幼馴染みの皆と遊べなくなるかもしれない不安に駆られた。

 しかし、会社の計らいにより、母親が代わりに会社で働くことを条件に住み続けてもよくなったらしい。子供心に嬉しかったことを記憶している。

 母は、それまで続けていたパートを辞め、父が勤めていた会社でパートを始めた。晩ご飯の時に仕事の話を聞いてみると、工場で白い粉が入った重たい袋を運び、機械に投入する仕事をしているとのことで、家に帰って来ると、耳の中まで粉まみれだった。母の口から愚痴は聞かなかったが、幼い私にも仕事の大変さが伝わってきた。


 「いってきまーす。」


 中学2年の8月の朝。いつもように母は仕事場に向かった。

 20分後、部活へ行く準備をしていると、家の電話が鳴り響いた。相手はさっき出掛けたばかりの母だった。


 「ごめん、作業着を忘れちゃったみたいで・・・、」


 テーブルの上に目をやると、見慣れた作業着袋が置いてある。


 「悪いけど持ってきてくれる?」


 炎天下の中、私はその作業着袋を手に、母が働いている工場へと嫌々歩き出した。


 「20分も歩くのか。面倒臭いな。なんで忘れるんだよ。」


 ぶつぶつ独り言を言いながら、新子安の駅前から京浜工場地帯方面へ歩いて行くと、陽炎の向こうから小走りで向かってくる母の姿が見えてきた。電話を切った後、自宅方向へ戻ってきてくれたようだ。


 「ありがとう。助かったわ。」


 私は無言で作業着袋を手渡すと、母は急いで工場へ向かって走り始めた。すぐに私も自宅に向かって歩き始めたが、10秒ほど歩いたところで何となく振り返った。すると、母の小さな背中が陽炎に揺れている。その姿が消えるまで私はずっと見つめていた。

 社宅に住み続けるために、大変な仕事を愚痴も言わずに続けてくれている母に対し、感謝の気持ちが溢れ出し、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 あれから25年。あの日以来、母に対する感謝を忘れる日はない。出来の悪い息子だが、母が元気なうちに親孝行しようという気持ちだけは誰にも負けないであろう。あの頃、好きなこともできずに朝から晩まで働いてくれた母。老後は、少しでも好きなことをやらせてあげることが親孝行になろう。本当は孫の顔を見せてあげることが最高の親孝行なのかもしれないが、何とも難しい。

 子は親の背中を見て育つという。あの背中を見ていなければ、今の自分は無いかもしれない。母に感謝。ありがとう。

2014年3月31日 (月)

消費税の影響

2014年4月1日(火)

 消費税率が5%から8%に変わる。そして1年半後には10%になる予定だ。この消費税が、愛するゲーセンを苦しめることになる。

 初めて1人でゲーセンで遊んだのは6歳の頃。今から32年前の話。

 当時、希望ヶ丘駅から徒歩5分ほどの場所に祖父母が住んでおり、週末に遊びに行くと、祖父が発行されたばかりの500円玉をくれた。ピカピカに光る500円玉を握りしめ、近くの駄菓子屋やゲーセンへと向かう。

 祖父母宅から徒歩15秒、『ミカド』というパチンコ屋の2階にゲーセンがあった。当時、自分がどんなゲームで遊んでいたのか詳しいことは忘れてしまったが、薄暗い店内で寂しく背中を丸めて遊んでいたことだけを覚えている。

 あれから32年。あのゲーセンは、とうの昔に閉店しているというのに、まだ卒業できていないのは小生だけであろうか。

 10円玉、50円玉、100円玉を握りしめ、ゲームの筐体に何枚のコインを流し込んできたのだろう。そう、今も昔もゲーセンはワンコインの文化が根付いている。この長い歴史を根底から崩そうとしているのが消費税の存在だ。

 コンビニであれば、100円の商品には消費税8円を乗っければそれでよい。しかし、愛するゲーセンでは、そうは問屋が卸さない。1ゲームごとに108円を筐体に流し込むことは無い。

 消費税の存在が無かった昭和の頃は、100円を入れれば、100円がゲーセンの取り分であった。しかし、消費税率が8%になれば、100円のうち約8円が消費税で、取り分は約92円しかない。売上高が同じであれば、昔より取り分が少くなるわけで、消費税率が上がれば上がるほどゲーセン経営は苦しくなる。

 横浜駅のゲーセンも閉店が続いている。ここ数年で、私が知る限り4店舗が店を閉じた。消費税だけが原因ではないが、昔ながらの昭和の匂いがするゲーセンは減り続ける運命なのであろう。悲しい限りだ。
 
 

2014年3月19日 (水)

春一番

2014年3月18日(火)

 横浜にも記録的な大雪を降らした冬将軍の姿は遠のき、ようやく春一番が吹いた。春の気配が漂い始めた3月の中旬。

 『元気ですかー!元気があれば何でも出来る。』

 芸人の春一番さんは元気なのだろうか。大病を患ったとテレビで拝見した記憶があるが、元気であることを願うばかり。

 小生は本業の繁忙期を終え、普通の生活に戻りつつある。春一番が吹いた火曜日の夜、横浜駅のJ店にて1ヶ月ぶりに麻雀格闘倶楽部の筐体の前に陣取った。

 選んだモードは競技卓。ここ2年くらい、競技卓を主戦とし、現在のリーグはシステムすら存じ上げない状態だ。

 1戦だけで、結果は4着。東2局でツモり四暗刻をテンパイしたのが良い思い出だ。やれやれ。


 初めて麻雀格闘倶楽部を打ったのは、今から11年前。麻雀格闘倶楽部2が登場する直前の頃であった。友人に勧められるがままにカードを購入し、あっという間の11年であった。

 当時は仕事の関係で、土日に出勤することが多かったため、友人と一緒に遊ぶ機会が少なかった。そんな状況において、一人で気ままに打つことができる麻雀格闘倶楽部は最適だった。狂ったようにゲーセンに通い、ブログを書き、時が流れていった。

 そして2014年。現在の本業は土日休み。土曜日は将棋に没頭し、日曜は草野球やリアル麻雀を楽しむ。先日は東京マラソンにも参戦し、無事に完走することもできた。今の生活に麻雀格闘倶楽部が入り込む余地は無い。11年の時の流れは、小生を変え、そして麻雀格闘倶楽部を変貌させてしまった。

 これからも喫煙所の代わりにゲーセンを利用するであろう。昔の思い出を振り返りながら闘牌を続け、このゲームの衰退を見届けたい。

2013年12月31日 (火)

ダブル役満

 2013年12月30日。今年最後のリアル麻雀にて、人生初となるダブル役満を和了することができた。してやったり。

 自身にとって珍しい出来事であったため、記念に記述しておこう。

 中中西西東北白八③⑥257

 これが配牌。持ち点が少なかったため、索子で染めて点数を高くできればと思いながら引いた第1ツモが、北。打八。

 中中西西北北東白③⑥257

 この段階で字一色を視野に入れることになる。2巡目に6索を引き入れ、下家から出た中をポン。打③。

 西西北北東白2567 中中中

 この鳴きににより、4巡目に南、5巡目に東を食い取る。場に3枚が切られている白を放出し、

 東東南西西北北567 中中中

 イーシャンテン。仮にポンして南を切れば、満貫のテンパイだが、どうする。いや、ここは役満を狙う一手であろう。嬉しい悩みを楽しみながら卓を眺めているが、東も西も北も出てこない。

 そうこうしているうちに、8巡目だったであろうか、恍惚と待ち人が現れる。

 東東南西西北北567 中中中 ツモ 南 打 5

 東東南南西西北北67 中中中

 そして次巡。対面から西が出る。ポン!

 直後に判明したのだが、これは対面の対子落としであった。持ち持ちだった西が鳴けたことで、役満和了に対する漠然とした自信がみなぎってきた。

 東東南南北北7 西西西 中中中

 ジリジリと巡目が進み、ついに3枚目の南を掴み取る。

 東東南南北北7 西西西 中中中 ツモ 南 打 7

 東東南南南北北 西西西 中中中

 ついにテンパイ。字一色&小四喜のダブル役満。ロンは期待していなかったのだが、下家の親が勝負手の様子。勝負勝負と放たれた牌に描かれた絵柄は、『東』の一文字。

 『ロンです。字一色、小四喜。64,000点です。』

 リアル麻雀では、初の字一色であり、初の小四喜であり、初のダブル役満である。初物づくしの年末と相成った。

 これにて2013年のリアル麻雀は終了。今年にリアル麻雀で和了した役満は下記の通り。

 ・九蓮宝燈
 ・数え役満(立直・対々・三暗刻・ダブ東・ドラ8) 
 ・大三元
 ・字一色&小四喜

 麻雀だけで言えば、楽しく素敵な1年であった。2014年も楽しくリアル麻雀が打てることを切に願う。

 

2013年11月 9日 (土)

旅打ち日記~長野編~

 火曜日の午後、お客様から1通のメールが届いた。詳細は書けないが、簡単に言えば誰かが長野県に行けば解決するという内容だ。

 事務所の上司に報告し、早速金曜日に小生が行くことと決定。これにて日帰りの長野出張と相成った。

 70歳を目前にする上司が私に一言。

 『せっかく行くんだから、用事が済んだら、温泉でも入ってらっしゃい。』

 ありがたいお言葉をいただき、半分仕事、半分は遊びの小旅行。せっかくだから楽しんでしまおうじゃないか。

 当日、いつものように身支度を済ませ、普段の出勤と同じ時刻に家を出る。

 横浜駅の自動券売機に少し苦戦したが、無事に新幹線のチケットを購入し、まずは東海道線で東京駅へと向かう。

 以前、赤坂見附で働いていた時に利用していた8:39発の電車だ。嫌な思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていく。車内は、昔ほどの混雑はしていなかった。

 東京駅に到着し、長野新幹線のホームへ一直線。既に到着している車両に、まだかまだかと行列が伸びる。

 車内清掃が終わり、自由席の車両に乗り込むと、なんだガラガラじゃないか。一安心。

 窓際の席に腰を下ろし、いざ出発。流れ行く車窓の景色を楽しむ。長野県に入ると、山々は紅葉で様々に色づき、見ているだけで癒される。

 2時間程で長野駅に到着。まずは仕事を済ませる一手。地図を頼りに目的地へ向かい、2時間弱で終了。電話で上司に報告すると、

 『お疲れさん、ゆっくり遊んでおいで!』

 ということで、ここから短い小旅行。まずは信州蕎麦で腹ごしらえだ。

 事前に調べた店へ向かい、二色蕎麦に舌鼓。美味いのだが、正直に言えば、蕎麦の違いがわかる味覚を持ち合わせていない。悲しい限りだが、雰囲気を楽しめただけでも幸いだ。

 さて、腹を満たすとタバコが吸いたくなる。タバコと言えばゲーセン、ゲーセンと言えば麻雀格闘倶楽部。呆れたものだ、すれ違う人に阿呆と言われてしまいそうだ。

 恥を忍びながら、徒歩圏内のサードプラネット長野店へと向かう。事前に調べ済みというから、何をかいわんやだ。

 店内はガラガラ。麻雀格闘倶楽部の先客もいない。温かい缶コーヒーを購入し、旅の記念に店舗登録を済ませ、いつもの競技卓を2戦して、

 2.4.

 初戦はオーラス最下位から満貫ツモで2着に浮上。してやったり。

 気持ち良く次戦に臨むも、返り討ちに遭う。無念。

 さて、もう充分だ。今日のメインイベントである善光寺に行こう。

 緩やかな門前の坂道を登り、立派な山門をくぐり、善光寺に到着。参拝をし、如来像の前で手を合わせる。


 『(禁煙…したい…です、、、いや、禁煙しま…す、、)』


 ダメだ、仏様の前で優柔不断に陥ってしまった。愚の骨頂だ。己の意志の弱さに辟易しながら境内を一回りし、閉館の時間と相成った。

 参道で野沢菜入りのおやきを買い、とぼとぼと歩く。長野駅までの道中、一軒の酒屋を発見した。これも旅の儀式の一つ。

 店内に入ると、長野の日本酒がずらりと並んでいる。しっかりと酸度と日本酒度も記載されており、日本酒ファンの血が騒ぐ。

 4合瓶を2本購入。嬉しい気分で長野駅までの足取りも軽い。

 さて、帰りの時間だ。長野新幹線に乗り込み、夜空に浮かぶ三日月を見上げながら帰路についた。


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2013年7月24日 (水)

振り返り

 2012年の正月、ブログに目標を掲げていたことを思い出した。今更ではあるが振り返ってみる。

・墓参りのため和歌山県に行く:×

 25年前、父の遺骨は分骨され、静岡と和歌山でそれぞれ眠っている。静岡は車でふらっと寄れるのだが、横浜から見ると和歌山は遠い。

 墓を守ってくれている叔父とも、普段は連絡を取っておらず、なかなか腰が上がらない。2013年、今年こそはと気合いが空回りしなければよいが。

・名古屋で飲む:◎

 当ブログで知り合うことができた『いしじま』さんと、2012年の夏に将棋を指しながら飲むことが出来た。2013年も一緒に飲みたい。

・石川県でダーツバーを経営している友人の店に再訪する:△

 2012年の秋、日本酒仲間4人で石川県を訪問した。寿司を食べ、酒蔵を回り、砂浜をドライブし、とても楽しい旅行だった。このブログで記述したかったのだが、理由あって書く機会を逸してしまった。

 また、この旅行は過密日程であったため、友人が経営している店に寄る時間は無く、またの機会と相成った。楽しみは後に取っておくタイプだから良しとしよう。

・フルマラソンに挑戦する:△

 2013年7月、ついにジョギングをスタート。あまりの体力の低下に愕然としたが、少しずつではあるが走れるようになってきた。

 2013年の秋にハーフマラソンに出場し、来年はフルマラソンに挑戦する予定。さて、どうなることやら。

・草野球に参加:◎

 2012年1月、友人が所属しているチームに参加させていただき、現在も続いている。これからの暑い季節、熱中症には気を付けなければなるまい。

・ゴルフを始める:△

 2013年の春、友人と打ちっ放しに数回行ったが、まったく球が飛ばない。飛ばないのだから面白くない。

 そんな状況だというのに、コースデビューをしてしまった。まともに球が飛ばないのだから、ほどんどのホールで途中棄権。ただ、綺麗なゴルフコースに魅了されてしまい、いつかは普通に回れるようになりたいと心に誓う。


 振り返ってみると、少しずつではあるがすべてが実現に向かっている。昔、偉い人が言っていた。夢は絵に描いて、見続けることで実現する、と。

 ブログに書いて、それを見ることで動き始めたものが数多くある。それがこのブログの存在意義なのかもしれない。もう更新することを辞めようかと思っていた。しかし、今後も細々と書き続けていくことを決心した蒸し暑い夏の夜。

2013年7月21日 (日)

墓参り

7月20日(土)晴れ

 仕事は休みだが、いつもと同じ時間にケータイの目覚ましが鳴り響く。先週の猛暑が嘘のように爽やかな土曜日の朝。

 今日は母と祖母を連れての墓参り。片道2時間の小旅行だ。いつもの準備を済ませ、ぶどうパンをコーヒーで流し込み、乗り慣れてきた愛車の後部座席に母と祖母を乗せ、出発進行。

 保土ヶ谷バイパスから東名高速に乗るが、横浜町田ICから厚木ICまで渋滞が続いている。学校も夏休みに入ったことだし、家族連れで旅行へ行く人が多いのであろうか。

 中井PAで休憩し、大井松田ICで高速道路とサヨナラし、246号を西へと下っていく。途中、2輌編成の電車と併走。世界の車窓からのBGMを脳内で再生させながら、ひたすら山道を走り続ける。

 出発してから2時間強。ようやく目的の霊園へと到着した。標高が高いため、空気がひんやりしていて気持ちが良い。

 まずは父が眠る墓へと到着。花を供え、線香をあげ、墓石に水をかける。手を合わせた母が墓石に向かって声を掛ける。

 『お父さん、誕生日おめでとう!』

 そう、今日7月20日は父の誕生日。もし生きていれば72歳の年男だ。墓参りと言えば、お盆や命日等にするものなのであろうが、生前の記念日や誕生日に来てもバチは当たるまい。誕生日おめでとう。

 次に祖父と叔父が眠る墓へ。こちらでは祖母が墓石に向かって一言。

 『おじいちゃん、早く迎えに来てよ~!』

 この言葉を初めて聞いてから早10年が経つ。すでに風物詩と化しており、これが祖母の長生きの秘訣なのかもしれない。

 近くでランチを済ませ、帰りは渋滞もなく無事に帰宅した。昼寝をし、晩飯を食べ、ジョギングをして平和な1日が終わる。

2012年10月15日 (月)

名古屋旅2012③

 頭が痛い。またぞろ二日酔いだ。カーテンを開けると、昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡っている8月12日の日曜日。

 10時のチェックアウトに間に合えばよいさと、タバコと缶コーヒーでのんびり一服。身体のだるさを感じながら、いつもの身支度を進めていく。

 忘れ物が無いことを確認し、旅の相棒である黒いバッグを右肩にかつぎ、フロントへ。お世話になりました。空を見上げると、見事なまでの快晴!今日も暑くなりそうだ。

 まずは大須観音方面に歩を進める。普通の雑居ビルでも新鮮に目に映るのが旅の不思議の一つ。地元の人にしてみたら日常の風景なのであろうが、私にとっては一期一会。そんなことを考えていたら、あっという間に大須商店街に辿り着いた。

 時間が早いせいか、まだ人影もまばらだ。右手の路地に目をやると、見慣れた看板が飛び込んできた。コメダ珈琲店。まるで名古屋へ来たときの必須の儀式かのように、今回もコメダでモーニング。これで10店舗くらいは制覇したであろうか。

 トーストとゆで卵を珈琲で流し込み、タバコを吸う。この普通の行動にさえも幸福を感じてしまうのだから、私も歳を取ったということさ。妙な感覚を抱きながら会計を済まし、灼熱になるであろう街中へ舞い戻る。

 さて、大須商店街へ来るのは記憶が正しければ5度目になる。必ず立ち寄る店舗もあれば、ようやく巡り会えた店もある。縦横無尽に広がる商店街をひた歩き、疲れたところでゲーセンスカイへ入店。冷房の風が心地良い。

 昨日に引き続き、競技卓へ参戦。戦績は忘れてしまったが、よい休憩になって満足。そろそろ昼食の時間だ。

 何を食べようか悩む。猛暑で食欲も落ちているのだが、とりあえず松坂屋蓬莱軒の混み具合でも見に行こう。道中、矢場とん本店の行列に辟易し、おそらく蓬莱軒も無理であろうとわかっていたが、案の定と相成った。90分も一人で待つほどの精神力は持ち合わせていない。

 返す刀で大須商店街へ逆戻り。路地裏の蕎麦屋できしざるを食して昼食は終了。満腹と言えばタバコ、タバコと言えばゲーセン。これが小生の方程式。目の前にあったアーバンスクエア大須店に入店した。

 ここは初めて入店したが、かなり広い店内に数多くのゲームが並んでいる。MFCを探していると、大きなダンスゲームに多くの人だかり。カップルが楽しそうに踊っている。私が通ってきた人生の中に、そんな楽しそうなステージは見当たらなかった。避けてきたのか、目が悪かったのか。まぁいいさ、お幸せに。

 奥まったところに赤い悪魔ことMFCが待っていた。こいつで人生が狂ったのか、それとも人生が楽しくなったのか、その答えには未だ辿り着いていない。

 ここでも競技卓に参戦し、タバコを1本だけ楽しんだ。

 そろそろ帰りの電車の時間が気になる頃合い。大須商店街の最後に訪ねる店はK-HOUSEと決めている。中古のCDやゲームを取りそろえた店だ。初めて来たのは10年ほど前。当時、店内に置かれているファミコンソフトの品揃えに興奮し、友人と一緒に笑ったその記憶を思い出すために訪問している。10年前の自分たちに再会した気分に浸りながら、記念に数本のソフトを購入し、大須商店街を後にした。

 地下鉄で名古屋駅へ。地下街エスカで温かいきしめんを食べ、お土産を購入して今回の名古屋旅行も終わりが近づいてきた。

 新幹線のホームの待合室にて、この2日間を思い返す。今回の旅も楽しかったなぁ。また来ることを心に決め、日常が待つ横浜へと舞い戻った。

 名古屋旅2012 fin.

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