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2014年5月 2日 (金)

母の背中

 中学校に入学して3日目の朝、厳格な父がトイレで倒れた。たまたま近くにいた私がトイレの扉を開けると、便器がどす黒い血で染まっていた。

 すぐに救急車を呼び、父は病院に運ばれたが、10ヶ月の闘病生活の甲斐もなく、みんなに囲まれて旅立った。享年48。私は12歳だった。

 無事に葬式を終え、ふと不安に感じることがあった。それは住まいのこと。当時、新子安駅近くの社宅に住んでいた。父が死亡退職したのだから、もう社宅に住むことができないのではないか。幼馴染みの皆と遊べなくなるかもしれない不安に駆られた。

 しかし、会社の計らいにより、母親が代わりに会社で働くことを条件に住み続けてもよくなったらしい。子供心に嬉しかったことを記憶している。

 母は、それまで続けていたパートを辞め、父が勤めていた会社でパートを始めた。晩ご飯の時に仕事の話を聞いてみると、工場で白い粉が入った重たい袋を運び、機械に投入する仕事をしているとのことで、家に帰って来ると、耳の中まで粉まみれだった。母の口から愚痴は聞かなかったが、幼い私にも仕事の大変さが伝わってきた。


 「いってきまーす。」


 中学2年の8月の朝。いつもように母は仕事場に向かった。

 20分後、部活へ行く準備をしていると、家の電話が鳴り響いた。相手はさっき出掛けたばかりの母だった。


 「ごめん、作業着を忘れちゃったみたいで・・・、」


 テーブルの上に目をやると、見慣れた作業着袋が置いてある。


 「悪いけど持ってきてくれる?」


 炎天下の中、私はその作業着袋を手に、母が働いている工場へと嫌々歩き出した。


 「20分も歩くのか。面倒臭いな。なんで忘れるんだよ。」


 ぶつぶつ独り言を言いながら、新子安の駅前から京浜工場地帯方面へ歩いて行くと、陽炎の向こうから小走りで向かってくる母の姿が見えてきた。電話を切った後、自宅方向へ戻ってきてくれたようだ。


 「ありがとう。助かったわ。」


 私は無言で作業着袋を手渡すと、母は急いで工場へ向かって走り始めた。すぐに私も自宅に向かって歩き始めたが、10秒ほど歩いたところで何となく振り返った。すると、母の小さな背中が陽炎に揺れている。その姿が消えるまで私はずっと見つめていた。

 社宅に住み続けるために、大変な仕事を愚痴も言わずに続けてくれている母に対し、感謝の気持ちが溢れ出し、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 あれから25年。あの日以来、母に対する感謝を忘れる日はない。出来の悪い息子だが、母が元気なうちに親孝行しようという気持ちだけは誰にも負けないであろう。あの頃、好きなこともできずに朝から晩まで働いてくれた母。老後は、少しでも好きなことをやらせてあげることが親孝行になろう。本当は孫の顔を見せてあげることが最高の親孝行なのかもしれないが、何とも難しい。

 子は親の背中を見て育つという。あの背中を見ていなければ、今の自分は無いかもしれない。母に感謝。ありがとう。

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