« 北の惨劇 | トップページ | たほいや2014.6.15 »

2014年6月11日 (水)

小さな冒険

 平成元年8月。父が他界してから初めて迎える中学2年の夏休み。新盆の法事に参列するため、父が生まれ育った鹿児島県指宿市まで、母と私の2人で行くことと相成った。

 お盆の時期ということもあり、飛行機も寝台特急もチケットを取ることができず、困り果てた母は駅で事情を説明すると、名古屋-西鹿児島間の臨時特急があることを駅員さんから教えてもらったそうだ。そのチケットを手に、2人で鹿児島へ向かうことになる。

 出発当日、13歳の少年は遠足気分だった。もともと電車が大好きで、しかも聞いたこともない臨時特急に乗れるとなればテンションは最高潮。もはや法事のことなど気にもしていない。

 うだるような夏の陽射しの中、まずは新子安駅から新横浜駅に移動し、新幹線で名古屋駅に到着した。ここまでは楽しかった、ここまでは。

 臨時特急の発車時刻までは小一時間。母が、数日前にテレビで見た駅弁特集で1位になった弁当が食べたいと言う。もちろん反対する理由もなく、一緒に駅構内の弁当売り場を探した。しかし、どの売り場にも目当ての弁当は見当たらない。それでも諦めない母。発車時刻寸前まで探したが手に入れることはできず、少量の菓子とお茶だけを購入して臨時特急に乗り込んだ。


 『残念だわ。どうしても食べたかったのに。しょうがない。弁当は車内販売で買えばいいわよね。』

 『そうだね。』


 臨時特急は定刻にゆっくりと動き出した。寝台列車ではなく、クッション性の少ないカチカチの椅子で、リクライニングを倒そうとしても10cmくらいしか動かない。これで十数時間の長旅をするのかと思うと、最高潮だったテンションも萎んでくる。

 名古屋駅を出発してどれくらい経過したであろうか。車窓の外は暗くなり、お腹が空いてきた頃、車掌の車内アナウンスが聞こえてきた。途中駅の到着時刻を読み終え、最後の言葉に愕然とした。

 
 『なお、車内販売はございません。』


 終わった。目当ての弁当がどうしても食べたかった母は、代わりの弁当を買っていない。あるのは少量の菓子だけ。時間が無かったのならまだしも、1時間近く駅構内の売り場を歩き回ったのに、手元に弁当は無い。ふて腐れる少年、謝る母。ほぼ無言のまま、臨時特急は西へと走る。

 いつしか眠りにつき、気付けば朝を迎えていた。腹ペコだ。

 途中停車駅のうち、停車時間が少しだけ長い駅にてダッシュで駅弁を買いに行き、約20時間ぶりの食事をとることができた。機嫌を直す少年、安心する母。臨時特急は西から南へと進路を変えた。

 車窓の外は長閑な風景が続き、母と他愛のない会話を続けている。亡き父の思い出話をしたような気もするが、もう25年も前の話だ、細かい会話までは残念ながら覚えていない。

 ようやく臨時特急は終点の西鹿児島駅に到着した。くたくたな身体に鞭を打ち、今度は指宿枕崎線へと乗り換え、目的地の指宿駅まで約90分。やっとのことで父が生まれ育った指宿市に辿り着くことができた。この時の達成感だけは忘れない。


 数日後、新盆を終え、母は仕事があるため先に帰ることになっており、少年は折角の機会だからと祖父宅に泊まらせてもらうことになっていた。

 一週間後の帰りのチケットを母から受け取り、母は少年を鹿児島に残して1人で立ち去った。

 少年は3人兄弟の末っ子であったが、兄とは歳が離れているため、限りなく一人っ子に近い性格をしている。祖父宅にて一人で遊んでいても、寂しさを感じることはない。庭でゲートボールを使った遊びを自分で考え、陽が暮れるまで一人で遊んだ日もあった。

 たくさんの親戚にも会わせてもらった。その全員が、父と少年がとても似ていることを喜び、そして、涙した。

 あっという間に一週間は過ぎ去り、いよいよお別れの日。母から受け取ったチケットを改めて見てみると、往路と同じ西鹿児島-名古屋行きの臨時特急の特急券と、横浜市内までの乗車券だけ。これだけあれば息子は必ず横浜まで帰ってくる、母はそう思っているのだろう。13歳の少年は、母から大人の扱いを受けていると考え、喜んだ。

 お世話になった親戚の皆様にお礼を言い、指宿駅を出発する。いとこのお姉ちゃんが西鹿児島駅まで同行してくれた。西鹿児島駅前で白クマアイスをご馳走になり、弁当も買ってくれた。今度は大丈夫、同じ過ちは繰り返さない。大きなリュックを背負い、右手に弁当を握りしめ、臨時特急に乗り込んだ。お姉ちゃんに手を振ると、列車は動き出した。小さな冒険の始まりだ。

 隣の席は誰もいない。車内は6割くらいの乗車率だったであろうか。静かな車内で、買ってもらった弁当を黙々と食べる。横浜まで無事に帰れるのだろうか。名古屋駅からどの電車に乗ればいいのだろうか。13歳の少年の心は、不安な気持ちで一杯になった。

 夜も更け、乗客のほとんどが寝ているようだ。だが、少年は眠れなかった。たった一人、もし寝ている間に荷物を盗まれたらどうしよう。リュックを両腕で抱き締め、目だけを閉じて時間が過ぎていく。結局、一睡もできずに朝を迎えた。

 祖父宅での一週間では寂しさなど微塵も感じなかったというのに、車内で一人、寂しさで震え、涙も流していた。

 十数時間後、ようやく臨時特急は終点の名古屋駅に到着した。さて、本当の冒険はここからだ、泣いている場合ではない。駅構内の立ち食いきしめんで腹を満たし、いざ出陣。

 いきなり困った。名古屋駅のホームは数が多く、どのホームのどの電車に乗ればいいのか皆目見当がつかない。『○○方面』と書いてあるが、その○○の地名が西か東かもわからない。仕方なく駅員さんに聞いてみた。


 『すいません、横浜に行きたいんですけど、どの電車に乗ればいいですか?』

 『あぁ、新幹線ならあっちだよ。』

 『いや、鈍行で帰りたいんですけど。』

 『は?』


 そりゃ驚くはずだ。大きなリュックを背負った13歳の小さな少年が、名古屋から横浜まで鈍行で帰ると言っている。現代なら保護されるレベルかもしれない。それでも駅員さんは親切にホームを教えてくれた。お礼を言い、そそくさとそのホームへと向かう。

 しかしここでも困ってしまう。そのホームには、新快速・快速・普通の3種類の電車があった。新快速の車両は格好良いから、特急券が必要なのかもしれない。近くに駅員さんもいない。とりあえず普通電車の岡崎駅行きに乗ってみた。

 途中駅で当然のように新快速に追い抜かれる。とにかく進むのが遅い。このペースで横浜まで到着できるのか不安になる。やっと岡崎駅に到着する頃、車内アナウンスを聞いていると、『お急ぎの方は新快速をご利用ください。』と言っていた。

 そうか、よく考えてみれば、地元の京浜急行は特急券が無くても快速に乗れる。もう少し早く気付くべきだった。後悔先に立たず。

 岡崎駅から新快速の豊橋駅行きに乗り、東へ急ぐ。名古屋駅周辺に比べると閑散としてきた車内で、一人の昔のお嬢さんから声を掛けられた。


 『ボク、どこから来たの?』

 『鹿児島です。』

 『へー、遠くから来たのね。どこまで行くの?』

 『横浜です。』

 『新幹線に乗り換えるの?』

 『いえ、乗車券しかないので鈍行です。』

 『え?』


 また驚かれた。このとき少年は、豊橋付近から横浜までの距離感を理解していなかった。なんとなく、いや、きっと着くはず。母が用意してくれた切符なのだから、必ずその日のうちに着くに決まっている。漠然とした自信は、イコール母への信頼であった。


 『遠いから気を付けるのよ。』

 
 昔のお嬢さんはそう言って、一粒の飴をくれた。少年は受け取ると同時に泣き出した。ここまでずっと周りを警戒し、緊張の糸を張り続けていた。初めて声を掛けられ、優しさに触れた途端、涙を流してしまった。早く母に会いたい。改めて思った。

 豊橋駅から浜松駅行きの電車に乗り継ぐ。記憶が確かであれば、この辺りから横浜周辺の東海道線と同じ車両が登場し、もうすぐ『東京』行きの電車があるのでは、と勘違いしたことを覚えている。

 ここからしばらくは、終点→乗り継ぎを繰り返す。今、自分が静岡県のどの辺にいるのか知る術もなく、リュックを抱き締め、車窓を眺める。

 今日中に横浜まで着くのだろうか。そんな不安が爆発しそうなほど疲れ果て、ようやく熱海駅に到着し、次の乗り継ぎの電車を見たその瞬間、待望の2文字が目に飛び込んできた。


 【東京】


 やった!ついに東京行きの電車だ!この電車に乗れば確実に横浜まで着く。少年はホームに膝を突き、顔の前で両手の拳を握り締めて喜んだ。

 車内は混み合っていたが、なんとか座ることができた。そして、今までが嘘のように眠りについた。

 目が覚めると、電車は大船駅に到着したところだった。横浜まで、あと2駅。車内は混雑していた。

 リュックも無事だし、乗車券もある。よかった。早く母ちゃんに会いたい。

 横浜駅で京浜東北線に乗り換え、新子安駅へ。一人で無事に帰って来ることができた。いままでお世話になった乗車券を駅員さんに手渡し、駆け足で自宅へ向かう。

 鹿児島から一人で帰ってきたことを、母ちゃんや兄ちゃんに褒めてほしい。その一心で、無我夢中で走った。3階の自宅まで階段を駆け上がり、ドアノブに手を掛ける。

 しかし、残念ながら鍵が掛かっていた。鍵を開け、中に入ると、玄関の床に一枚の紙が置いてあった。


 【盆踊りに行ってきます。母。】


 少年は膝から崩れ落ち、こうして13歳の小さな冒険は終わったのである。

« 北の惨劇 | トップページ | たほいや2014.6.15 »

旅日記(麻雀以外)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 北の惨劇 | トップページ | たほいや2014.6.15 »