カテゴリー「その他」の27件の記事

2009年10月 8日 (木)

想定

 目が覚めると、外は嵐の真っ只中。電車は止まっているであろう。ここまでは想定の範囲内。

 会社には午後から行こうかと考えながら顔を洗っていると、左目が異常に腫れていることに気が付いた。鏡で見ると、両目が真っ赤だ。

 台風で遅刻するつもりだったが、通院での遅刻に急遽変更。どちらにせよ結果は一緒だ。

 以前お世話になったことのある眼科は、残念ながら休診日。ネットで調べ、横浜駅にある眼科へと向かった。

 診察の結果、ものもらいの初期症状だそうだ。二種類の目薬を使えば、数日で治るらしい。

 しかし、医師は他にも気になる点があるらしく、時間があれば検査を受けるように勧めてきた。

 急いだところで台風と仕事が待っているだけだ。せっかくの機会だから、ゆっくりと検査を受けていこう。

 なにやら高価そうな機器が並んでいる。次から次に検査を受け、結果を待つ。

 名前を呼ばれ、医師の元に戻る。


 『左眼に緑内障の疑いがあります。来月、再検査をしましょう。』


 これは想定外である。正直ショックを隠せなかった。全く自覚症状が無いのだが、既に左眼の一部は見えていないらしい。

 治すことはできないようで、今後は症状の進行を止める戦いになるようだ。


 職場までの電車内で、何度ため息をついただろう。

 
 上司に報告をし、普段と変わらず仕事をこなしたが、あまり記憶が無い。

 
 落ち込んでいても仕方が無い。左眼がダメなら右眼があるさ。それに、進行が手遅れになる前に判明しただけ幸せだと考えよう。

 そういえば、私が尊敬する故・田山幸憲氏も、晩年は飛蚊症という眼の病に苦しんでいた。私は一体、どこまで田山さんの背中を追い掛けるのであろうか。

2009年9月23日 (水)

雑記:新潟旅行③

2009年9月13日(日)

 旅の2日目。軽く二日酔いの感覚が残り、寝ては覚めての繰り返し。朝食の時間ギリギリまで布団の中から出られなかった。

 そんな中、友人の1人は5:00頃から海岸線をジョギングしていたらしい。頭が下がる思いだ。私も見習わなければなるまい。

 朝食は、程よい量だったため、最後まで美味しく頂戴した。やはりこの宿の味噌汁は美味い。

 民宿のお兄さんに美味さの秘訣を聞いてみた。

 
 『とくに特別なダシとか使ってないんですけどね~。』


 最後まで秘密は暴けなかったが、また必ず食べに来たいと思わせる不思議な魅力のある味噌汁だ。

 会計を済ませ、さて出発しようと思ったら、突然外が嵐となった。横殴りの雨。なんてツイていないのだろうか。

 雨の中、とりあえず向かったのは、弥彦山の頂上。たまたま、弥彦山ヒルクライムという自転車レースが開催されていた。友人の1人が自転車を趣味としているため、ぜひ観戦しようということになった。

 山の上に到着すると、とんでもない突風が待ち受けていた。こんな悪条件の中で、本当にレースは行われているのであろうか。

 半信半疑のままゴール地点に向かうと、なんと先頭は既にゴールしていた。しばらくの間、ゴールする選手を観ていたのだが、登り坂を想像以上のスピードで駆け抜けていく。凄い。観戦できて本当に良かった。

 レースも終わり、山を下る前に日本海を眺めると、そのコントラストに驚嘆した。波打ち際は泥色に荒れ狂い、沖合いはエメラルドグリーンに輝いている。なんとも形容のしがたい不思議な光景に目を奪われた。

 それにしても寒い。私以外は、みんな長袖シャツなのに、私だけ半袖。ガチガチと震える体を両腕で包むように車内に飛び込む。

 昨日も立ち寄った寺泊の市場でお土産を購入し、つまみ食いをした後、海岸線を南に走らせた。

 荒れ狂う日本海。波消しブロックの向こう側は、まるで地獄絵図だ。

 雨は風を味方にして、車に容赦なく体当たりをしてくる。

 最悪のコンディションではあるが、この方が記憶に残り、良い思い出になろう。

 車を走らせて約1時間。道路は海岸線に別れを告げ、突然異様な雰囲気となる。


 ・東京電力 柏崎刈羽原子力発電所


 その周辺は高いバリケードと樹木で覆われており、物々しさを感じる。

 一度は通り過ぎてしまったが、戻ってみると出入口のゲートを発見。数多くの警備員が配置され、厳重に警備がされている。

 そんな緊張感のある周辺で記念撮影。場違いこの上ない。

 そばに東京電力のパビリオンがあったため、原子力発電について社会科見学。原発1基で約40万世帯の消費電力を賄うことができるそうだ。

 
 『・・・ってことは、40万世帯が太陽光で自家発電すれば、原発1基減らせるじゃん。』


 友人が発した言葉は、とても大きく私の心に響き、色々と考えさせられる訪問と相成った。

 単に観光名所を巡る旅行も楽しいのであろうが、現代の日本の問題点を考える旅も必要であろう。

 パビリオン内にある喫茶店でブルーベリーチーズケーキを食し、柏崎駅前に向かった。

 老舗の雰囲気を醸し出す蕎麦屋に入り、私はカレー南蛮を注文した。冷えた体を温めてくれる優しい味だ。

 さて、楽しかった旅も幕を閉じる。後ろ髪を引かれる思いで柏崎ICへと向かい、帰路に着いた。

 1泊2日の短い旅、かつ、最悪の天候ではあったが、とても充実した旅行であった。

 新潟よ、ありがとう。

2009年9月20日 (日)

雑記:新潟旅行②

2009年9月12日(土)

 10年前のメンバーに1人が加わり、男4人での新潟旅行。

 それぞれの住まいは、横浜・埼玉・茨城と離れているため、集合場所は埼玉県の鴻巣駅となった。

 横浜駅から湘南新宿ラインの始発に乗り込み、AM7:51に到着。

 友人のワゴンに乗り込み、男4人でワイワイと関越道をひた走る。

 外はあいにくの雨模様。風も強く、サービスエリアに立ち寄る気にもなれない。

 しかし、関越トンネルを抜けた頃から次第に雨足は弱まり、傘を差さないで済む程度となった。

 塩沢石打SAで休憩し、観光する場所を決める。話し合いの結果、長岡駅周辺へ向かうこととなった。

 長岡駅は上越新幹線が停まるだけあって、駅周辺もそこそこ開けている。近くの定食屋で刺身定食を食べ、長岡城跡へ向かった。

 途中、一軒の酒屋に立ち寄った。優しそうなご主人におすすめの日本酒を尋ねてみた。

 『こちらの八海山とか、緑川とかですかね~。』

 聞いてはみたものの、実は最初から、購入する日本酒は決めていた。

 それは、『越州』

 以前の新潟旅行の際にファンになり、越州が大好きなことを伝えると、ご主人はとても嬉しそうな顔をされていた。

 会計を済ませると、その主人が黙ったまま冷蔵庫に向かい、一本の日本酒を持って来た。

 『これ、八海山の原酒なんです。荷物にならなければ、ぜひ持ってってください。』

 なんとなんと、一本まるごと頂戴してしまった。聞いたところ、その主人は以前、越州の酒造メーカーである朝日酒造さんに勤めていたそうだ。越州について熱く語る私の姿を見て、とても嬉しかったそうな。

 ご主人、ありがとうございました。大切に飲ませていただきます。

 その後、寺泊へ向かい、市場で色々とつまみ食いをして、お土産を購入し、いざ今宵の民宿へと向かった。

 懐かしい海岸線。10年前の記憶が蘇る。一番期待していた夕焼けは、残念ながら分厚い雲に遮られてしまった。無念。


 『あった!』


 民宿まつや。10年前は入り口が砂利道だったと記憶しているが、今では綺麗になっている。ケータイで記念撮影。再訪できるとは、感無量とはこのことか。

 部屋には鍵も無く、いかにも田舎の民宿である。カップルには厳しいであろうが、男だけの我々にとっては全く問題ない。

 近くの日帰り温泉に出向いて、一日の疲れを癒し、宿に戻れば豪華な料理が待っていた。肉は無く、豊富な魚介類が所狭しと置かれている。真ん中には、1人1匹ずつのベニズワイガニ。少食の私には、食べきれる量ではなく、少し残してしまった。申し訳ない。

 部屋に戻り、越州と越乃寒梅で新潟に乾杯。美味かった。男4人の語り合いは、まるで大学生に戻ったかのように楽しく、また忘れたくない思い出ができてしまった。

 時刻は1:00。名残惜しいが明日も早い。ほろ酔いのまま気持ち良く就寝し、1日目が終了した。

つづく

2009年9月18日 (金)

雑記:新潟旅行①

 今から10年前。大学4年生の夏休み。周りは、内定が取れた者と取れない者で色分けされていた。

 そんな中、私は就職活動を一切せず、卒業後もパチスロで稼いでいこうと考えていた。

 就職活動を終えた友人達と遊ぶ日々が続き、男3人で旅行の計画を立てる。

 計画と言っても、決まっているのは集合する場所と時間だけ。深夜1時に友人が車で私の家まで迎えに来てくれた。

 3人が集まり、車中で目的地を考える。

 『日本海、って見たことある?』

 横浜で生まれ育った3人にとって、日本海は未知の領域。日本海の荒波と言われるくらいだから、さぞかし演歌の似合う海なのだろうと想像し、宿も決めずに夜の関越道をひた走った。

 当時はカーナビも無く、サービスエリアに置いてあった頼りない地図を見ながら、なんとなく中之島見附ICで高速を降りた。

 料金所のオッチャンに港の方向を聞き、それだけを頼りに走り続けた。そして辿り着いたのは、佐渡島へのフェリー乗り場がある寺泊港であった。

 生まれて初めて見る日本海は、まるで湖のように穏やかで、朝の陽の光を受けてキラキラと輝いていた。イメージとの違いに戸惑いを感じたのを今でも覚えている。

 海沿いを走りながら、今夜の宿を探す。すると、民宿『まつや』の看板が目に入る。友人のあだ名が『まつ』であったため、それだけの理由で門を叩いてみた。

 時刻は、朝の9時。普通であればチェックアウトの頃合いであろうに、『今夜、泊まれますか?』と聞いてみる。

 『大丈夫ですよ。』

 これにて宿は確保できた。女将さんに観光スポットを聞き、弥彦山や新潟市内を観光した。

 途中、立ち寄った酒屋で越乃寒梅を発見し、すぐに購入。昔、こち亀で幻の日本酒と紹介されていたが、新潟では普通に売っているようだ。

 夕暮れ時、日本海の真ん中に大きな太陽が沈んでいく。海岸線の岩場で男3人、静かに夕焼けを見つめていた。

 あまりの雄大さに、言葉は必要としなかった。あの美しさは今でも忘れられない。

 宿に戻り、晩ご飯。1泊8,400円とは思えないほど豪華な料理が並んでいた。その中でも、一番強烈な印象を残したのが、米と味噌汁である。こんなに美味しいと感じたことは、後にも先にも記憶が無い。とにかく美味かった。

 食後に部屋で越乃寒梅を堪能し、新潟の魅力に支配されていったのである。

 あれから10年の間に、別のメンバーで2回ほど新潟を訪れているが、今回はあの時と同じメンバー、かつ、同じ民宿を訪れることと相成った。

 大学時代の友人と、10年の時が経ってなお楽しく旅行ができる喜びは、何事にも代え難い。

つづく

2009年8月17日 (月)

痛恨

 8月15日、昼。

 目覚めると、身体が異様にだるい。二度寝すれば治るであろう、と考え再び就寝。

 しかし、残念ながら身体が重い。念のため体温計で熱を測ると、なんと38.9℃。痛恨のミス。

 土曜日の午後ということもあって、近辺の病院は開いていない。もしかすると、新型インフルエンザの可能性もあろう。

 仕方なく近くの救急病院まで出向き、震える身体で2時間待ちを耐え凌ぐ。

 検査の結果は、インフルエンザ陰性。安心した。結果は、ウィルス性の風邪であった。

 この痛恨の風邪によって、16日から企画していた茨城訪問が水泡に帰すことと相成った。おうしほくさん、申し訳ございませんでした。

 現在は回復に向かっており、もうすぐMFC日誌も再開できるかと思われます。

 夏風邪が流行っているようですので、皆様も是非お気をつけ下さい。

2009年4月10日 (金)

雑記:京都桜旅

 先日、1泊2日で京都へ行って来た。MFCの旅打ちではなく、純粋な桜散策の旅行である。

 30過ぎの男なのだから、普通であれば彼女との旅行を想像されるであろうが、今回は人生初の母親との旅行である。

 ここ最近、私は体調が悪く、もしかしたら短い命かもしれない。元気なうちに親孝行をしておかないと後悔してしまいそうな気がしており、今回の旅を企画した。

 桜満開の京都に舞い降り、哲学の道・永観堂・南禅寺・蹴上インクライン・円山公園・醍醐寺・平野神社・嵐山・京都御所・二条城。桜の名所という名所を駆け巡った。

 好天に恵まれ、どこも桜が満開で、喜ぶ母親の姿が印象的であった。

 強行日程であったため、私は疲労困憊であったが、もうすぐ67になる母親の方が元気だったことに驚いた。

 行くまでは恥ずかしく感じていたのだが、行ってみれば親孝行も良いものだと感じた2日間であった。

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2009年3月26日 (木)

異変

 横浜では、一週間前に桜の開花が宣言された。

 待ち焦がれていた春がようやくやってきたかと喜んでいたのだが、今朝、カーテンを開けると白い雪が舞っていた。

 これには驚きを隠せなかった。30年以上横浜で暮らしているが、3月下旬に雪が降るとは、異常としか思えない。

 私がMFCを引退したから雪が降ったのであろうか。

2009年3月24日 (火)

雑記:はやぶさ

 少し前の話題になるが、ブルートレイン富士・はやぶさ号が、ラストランを終えた。

 横浜の線路沿いで育った私にとって、ブルートレインは身近な存在であり、憧れであった。

 当時は、富士・さくら・あさかぜ・出雲・はやぶさ等々、数多くのブルートレインが横浜駅を通り、私は停車する時刻だけでどのブルートレインかがわかるほど好きだった。

 小学校6年の時、父親の実家がある鹿児島まで一人旅をした。もちろんブルートレインはやぶさ号に乗って。

 当時は西鹿児島駅行きだっため、乗ってしまえば鹿児島に到着した。車中で知り合ったお兄さんと将棋を指したのが懐かしい。20時間の長旅であったが、今思えば楽しい思い出である。

 また一つ、昭和の良き匂いが消えてしまった。ありがとう、ブルートレインはやぶさ号。

2009年3月10日 (火)

雑記:家系ラーメンについて

 麻雀について書くことが無いので、雑記を一つ。

 本日、テレビ東京にてラーメン番組が放送されていた。東京各地のランキングが発表され、どれも非常に美味しそうであった。 近年のラーメン及びつけ麺ブームは目覚しく、様々なラーメンが楽しめようになった。

 私が育った横浜は、全国各地にあるご当地ラーメンの一つである「家系ラーメン」の発祥地である。今から約20年ほど前、豚骨醤油ラーメンは一世を風靡した。

 「家系ラーメン」とは、吉村家を総本家として、そこで修行した人が屋号に「家」の一文字を付けて出店して広まっていった。「六角屋」、「壱六屋」など総本家より人気があろう店までもが登場し、私の世代のハマっ子であれば、誰しも一つは行きつけの家系ラーメンの店があったものだ。ちなみに私は、分家の「とんぱた亭」だ。
 
 あれから20年。当時行列が当たり前だった家系ラーメンも、いつしか人気が下降気味だ。昨今の魚介系スープなどに押され気味に思える。そういう私も歳のせいか、豚骨醤油を敬遠しがちであり、今では横浜の「麺屋維新」の塩ラーメンに舌鼓を打っている。

 人それぞれ好みは違うが、ラーメンブームのおかげで様々な味のラーメンが味わえるようになり、今後もこのブームが続いてくれればと願うばかりだ。10年後、現在では想像もできないような味のラーメンが登場することを期待したい。

 そしてその頃、「家系ラーメン」の人気があることも、それ以上に願うばかりだ。

2008年12月18日 (木)

サッカーの不思議

 本日、新横浜に立ち寄った。夜からガンバ大阪-マンチェスターU戦が行われるため、たくさんの人で賑わっている。

 そこで一つの疑問が生じた。それは、マンチェスターUのユニフォームを来ている日本人が数多くいたことだ。ガンバ大阪が日本を代表して戦っているのであろうに、なぜイギリスのチームを応援するのだろう。サッカーに詳しくない私は、不思議に感じてしまった。

 もしも野球の巨人-ヤンキースの世界戦があったとしたら、アンチ巨人の私でさえ、巨人を応援することだろう。

 これは、野球とサッカーの文化の違いなのであろうか。それとも個人的感覚の違いなのであろうか。不思議に感じ、思わず筆を持ってしまった。

2008年12月13日 (土)

ご報告

 読者の皆様にご報告させて頂きます。

 今年8月に受験した税理士試験の消費税法の試験結果が届き、無事に合格することができました。

 思い返せば苦難の道のりでしたが、合格の文字を見て、その苦しみが喜びに変わりました。MFC4の3段受験合格と同じくらい嬉しいです。

 税理士資格まで残り2科目と相成りました。今後も一層気を引き締めて邁進して行く所存です。今後とも宜しくお願い致します。

2008年11月23日 (日)

鎌倉散策

 午前中、将棋のNHK杯を見入ってしまった。深浦-堀口(一)戦。居飛車の本格派同士の戦い。相矢倉の熱戦を楽しんだ。

 その後、いつもの身支度をして家を出て、昨日の記事で書いたように、古都鎌倉へと向かった。

 北鎌倉駅から鶴岡八幡宮方面へと向かって歩いて行く。まだ紅葉は三分程度か。渋滞する道路を尻目に、辿り着いたのは建長寺。境内を隈なく散策し、最後に現れたのは200段以上の階段。苦しい思いをしたが、頂上から見える富士山の姿は雄大であった。明日から筋肉痛であろう。

 その後、鶴岡八幡宮へと到着したが、あまりの人ごみでビックリしてしまった。小町通りも人で溢れ、買い物どころではない。

 結局ゆっくりできずに、そそくさと電車に乗って鎌倉を後にした。帰り際、夕暮れに映える富士山は見事だった。

 横浜に到着し、1戦だけ半荘Sリーグを打ち、

 4

 やらなければ良かった。後の祭りか。

【本日の戦績】
金-2

累計602個

2008年10月26日 (日)

寝週末

 寝正月という言葉があるが、今週末は寝週末と相成った。10月上旬に風邪を引いたのだが、今も完治していない。鼻水だけが止まらない状況だ。

 にもかかわらず、仕事帰りに飲み歩く生活をしていれば、治るものも治らないはずだ。

 ここ二日間ゆっくりしたおかげで、明日からは快適に過ごせるといいのだが。

2008年10月 8日 (水)

代官山 Braceria La Fame

 私は以前、4年間ほど専門学校社会人過程で専任講師をしていた。知識も教養もない身でありながら、人様の前で偉そうに教壇に上がっていた日々。新人の頃は毎日が苦しく、身を削るような感覚であった。

 しかし、苦しみの記憶の中に、楽しい思い出もある。それは担当している受講生の合格していく姿だ。上は60歳代、下は大学生まで、幅広い年齢層の笑顔が苦しみを和らげてくれた。

 今から半年前、桜の花が満開の時期に、一通のメールが届いた。それは、新人の頃に担当していた当時大学生の女の子からであった。

 『結婚しました。』という嬉しい知らせだ。おめでとう。落ち着いた頃にワインで祝杯しようということになり、先日その思いを叶える事ができた。

 小生には不釣合いなイタリア料理屋にて、白ワインで乾杯をした。長い結婚生活の中で、いろいろと試練もあるであろうが、夫婦仲良く乗り越えて欲しい。お幸せに。

 私は今まで、数多くの笑顔を見届けてきた。それが私の誇れる宝物である。

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2008年10月 4日 (土)

痛恨の風邪

 木曜日に、痛恨の風邪をひいてしまった。ここ3日間、家を出ていない。本日は、りなりんさんの合わせ企画があったのに、残念無念。

2008年7月26日 (土)

7/26(土)晴れ

 夏真っ盛り。街は花火大会や、お祭りの騒ぎで賑わっている。連日の猛暑の中、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 小生は、あと10日に近づいた資格試験に追われ、気持ちだけが空回りしている。精神的な問題なのか体調も幾分悪い。

 あぁ、思い切り麻雀が打ちたい。

2008年7月19日 (土)

7/19(土)晴れ

 梅雨明け宣言。ついに今年も夏が到来した。うだるような連日の暑さに、すでに夏バテ気味だが、資格試験まで、あとわずか。ここが勝負所か。

 朝早くに目を覚まし、土曜日の日課であるゴミを出す。午前中から勉強に精を出し、合格に向けて突き進む。

 午後から野暮用で街へと繰り出した。用事を済ませ、気分転換に少しMFCでもやろうかと、ゲーセンを覗いて見たら、その街のゲーセンはすべてMFC6のまま。7に引継ぎを済ませてしまっている小生には、手も足も出せない。やはり麻雀の神様が、勉強しろと仰っているのであろう。

 後ろ髪を引かれる思いで、帰路に着いた。

2008年7月12日 (土)

7/12(土)晴れ

 まだ梅雨明けの報は聞いていないが、天気予報を見れば、横浜地方は33℃。うだる様な暑さ。エアコンの力を頼らざるを得ない。

 午前中から資格の勉強をしたいところだが、昨夜突然PCのモニターが消えた。直る様子は無い。この忙しい時期に、困ったものだ。

 いつもの身支度をして、電車で3駅ほど移動。電気屋に向かうはずであったが、気が付けばゲーセンの中で涼んでいた。

 すると、1枚のポスターを発見する。麻雀格闘倶楽部7、7/23入荷予定。やっと詳しい日程がわかり、これにて来た甲斐があった。

 今日はMFCを打たないと心に決めていたため、返す刀で電気屋へ。PCのモニターを購入し、手痛い出費と相成った。

 帰り道、最寄り駅まで到着すると、まさかの天気雨。向こうに青空が見えているというのに、昨日からついていない。10分ほど、のんびりと雨宿りをしていると、夏の雨は通り過ぎていった。

 重たい荷物とともに家に着いた。

 

2008年6月 8日 (日)

訃報

 夕方、訃報が舞い込んだ。入院中だった伯父が他界した。享年67歳。

 生前は個人で居酒屋を経営し、何度かご馳走になった。正月には手料理を振舞ってくれた伯父さんの笑顔が懐かしい。

 葬儀屋の霊安室で、祖母が『やっと楽になれたね・・・。』と泣きながら声をかけるその小さな背中に、私は涙をこらえることで精一杯だった。息子に先立たれた祖母の気持ちを考えると、言葉にならない。

 私の父親は、既に他界しており、母親も病気がちな身体である。私も病気と仲良く暮らしている身であるが、せめて母親より長生きをしよう。それが、せめてもの親孝行になるのであれば。

 伯父さん、今までありがとう。ご冥福をお祈りいたします。

2008年3月21日 (金)

3/20(祝)雨

 事前に予定が無かったため、東風AⅠを鬼打ちする予定だったのだが、急遽甥っ子2人が遊びに来てしまった。面倒を見ているうちに夕方となり、MFCの予定は御破算となった。

 今週もあと3日。東風リーグに顔を出すのは控えておこう。また来週があるさ。

2008年3月15日 (土)

またもや

 春眠暁を覚えず。

 先週も同じ言葉を書いた記憶があるが、どうも土曜日になると眠くなる。東風AⅠを目指すためにも、今日は打ちたかったのだが・・・。

 明日は将棋のNHK杯決勝戦。史上初の生放送。これを見ないわけにはいかない。午後2時までテレビに釘付けにされることが決定した。

 その後、縁があったら赤い筐体へ行こうか。

2008年3月 9日 (日)

春眠

 この週末は寝てばかり。MFCはお休み。

 春眠暁を覚えず。

 明日は東風の黄龍闘技場の日。東風黄龍ランカーを目指すためには大事な一戦。今からワクワクしてしまう。遠足前の小学生のようだ。

2008年3月 2日 (日)

3/2(日)晴れ

 今日は黄龍王位決定戦の最終日。鬼打ちを予定していたにもかかわらず、こんな日に限って体調が悪い。残念だが、MFCのためだけに外出する体力は残っていなかった。無念。将棋のNHK杯(鈴木-渡辺戦)を観戦して、のんびりと日曜日を過ごした冬の終わり。

2008年2月23日 (土)

2/23(土)春一番

 6:30頃に目が覚めた。まだ外も暗いので、あえて2度寝。再び起きればもう9:30になっていた。

 顔を洗い、コーヒーを飲んで、土曜の朝の番組をのんびりと眺めている。暖かな朝。

 シャワーを浴びて正午も過ぎた。さてMFCでも打ちに行くかと考え始めた頃、風が強く吹き始めた。春一番だろうか。収まる様子は無く、むしろ強くなる一方である。

 のんびりコーヒーをおかわりして、気長に午後を過ごしているうちに、MFC熱も冷めていった。

 今週はトナメを規定対局まで打っているが、未だ降格ptのため打ちたかったところだが、まぁ明日があるさ。

 雪が解けて川になって流れていきます。つくしの子が恥ずかしげに顔を出します。もうすぐ春ですね。

2008年2月 3日 (日)

2/3(日)雪

早朝に目が覚めた。カーテンを開けると、外は一面銀世界。雪の少ない港町横濱にも雪が積もっている。

今日は朱雀王位の最終日。鬼打ちでもするかと考えていたが、予定変更。雪は苦手なため、嫌だが部屋に閉じこもろう。残念。

2008年1月25日 (金)

哀悼の意

元大洋の加藤博一さんが亡くなられました。56歳、早すぎます。

横浜で生まれ育った私は、気づいた頃には地元大洋ホエールズのファンでした。

小学校4年生の頃になると、土曜日のデーゲームに横浜スタジアムのライトスタンドで友人と応援していました。

少ないお小遣いの中から、応援用バットと背番号シールを買うのが当時のステータスで、紺色のバット型メガホンに自分が好きな選手の背番号を貼って応援していました。

この背番号シールは、0~9までの番号が黒、白2枚ずつ入っていました。応援バットが紺色ですから白いシールがメインとなります。そこで、まず目立たない黒色のシールを応援バットに貼り付け、その少し左上に白色のシールを重ねることで、立体感を出すための影として黒シールを利用していました。

そこで問題となるのが、4の使い方でした。各数字2枚ずつしか入っていなかったので、加藤博一選手の44を貼ってしまうと、4が無くなってしまうのです。エース遠藤一彦投手の24や大門投手の54など、他にも貼りたい番号があったので、バットを買う度に迷った記憶があります。

迷った挙句、毎回私の応援バットには、立体感のある44が貼ってありました。3、44、31。私の中でスーパーカートリオは永遠のヒーローです。目を閉じれば、声を枯らして応援していたライトスタンドを思い出します。蒲田行進曲の応援歌を一生忘れません。

思い出をありがとう。

ご冥福をお祈りいたします。

2008年1月 5日 (土)

箱根駅伝

私は中学高校の6年間、陸上部の長距離に所属していました。
中学生時代に膝を怪我したため、ろくに練習もできず、記録等は残せていません。
ただ、駅伝競技に対する熱い想いを消すことができず、陸上部を辞めることができなかったんです。

熱い想いの原点は、NHKの全国高校駅伝の中継です。
他の都道府県代表の46人を置き去りにして、第1区を独走する市立船橋高校の渡辺康幸選手(現早稲田大学駅伝監督)の姿に、私は純粋に感動し、憧れました。

その後、渡辺選手は箱根駅伝で素晴らしい活躍をされ、
1区、2区の区間記録は、当時『前人未到』、『不滅の記録』と賞賛されました。
私も、自分のヒーローの活躍に興奮したのを覚えています。

不滅とも言われた記録は、1999年に順天堂大学の三代直樹選手に塗り替えられました。
自分のヒーローの記録が消え、新しいヒーローの誕生。複雑な気持ちでした。

それから8年間、箱根駅伝の花の2区では毎年必ず『三代直樹の区間記録を○○秒上回っています。』という実況がありました。
この言葉を聞く度に、渡辺さんに憧れていた若い頃を思い出すんです。

2008年。三代さんの素晴らしい記録も山梨学院大学のモグス選手に塗り替えられました。
今後、箱根駅伝の実況から三代さんの名前は激減することでしょう。
しかし私は忘れない。偉大なる三代直樹という名前を。


1/4(金)
戦跡無し