カテゴリー「麻雀:回顧録」の24件の記事

2009年8月27日 (木)

我龍転生について

 既にロケテストも終わっているため、そろそろ新ver.が導入される日も近いであろう。秋になるのか、冬になるのか。

 時期尚早かもしれないが、新ver.に対する私の意見を述べたいと思う。

 MFC1から打っているため、ver.upは次で7回目の経験になる。毎回期待をするのだが、大抵は裏切られることになる。

 MFC2とMFC4に関しては、とても楽しく、ver.upに感謝したが、MFC3とMFC7は大いに期待を裏切ってくれた。今まで散々書いてきたので、改めて書くことは省略する。

 さて、今回はどうなるか。まだ発売前のためロケテスト時点での情報だが、黄龍オーブが事実上リセットされ、真龍オーブが創設されるらしい。

 これにはヘビーユーザーが黙っていないであろう。今まで積み上げきたものは、一体なんだったのかと。

 しかし私は、この点については、さほど気にしていない。実は累計オーブに対するこだわりが低いのだ。ただの思い出に過ぎない。

 それよりも気になることは、現在の鳳凰リーグがどのように形を変えるのかという点である。

 MFCは、過去にも一度導入してから形を変えて成功した例もある。代表例はMFC4のトナメ。鳳凰リーグのマッチングについては、かなり批判が出ているであろう。ver.upを機会に改善されることを期待しよう。

 
 MFC6までは、AⅠ(当時の最高峰)を維持することを一番の目標にして打っていた。しかし、憎きMFC7鳳凰リーグ創設により、私は目標を失った。

 今では、いかに安く麻雀を楽しめるかが私の新たな目標である。

 新しいver.に対して一番期待することは、ゲーセンが現状の料金設定を維持してくれるかどうか。この一点である。

2009年8月 5日 (水)

名言集①

 他人様のブログや掲示板を閲覧していると、ある局面における次の一手問題を拝見することがある。

 麻雀本を読んだことがない小生にとっては、とても参考になるのだが、別の感想も併せ持っている。

 例えば、ドラ⑦、10巡目、親番

 789赤⑤⑤⑧⑧⑨三四七八九 ツモ⑥

 このケースで、打⑤又は⑨で平和のイーシャンテンに受ける人と、ツモ切りで三色を狙う人がいるかと思われる。

 回答を求められれば、小生はこの二択で迷うであろう。

 しかし、本当の私の答えは『解無し』である。

 その真意は、私の場合、実際にはこの局面に出会わないからである。

 おそらく6巡目までにドラそばの⑧は切ってしまい、三色ドラ2のイーシャンテンで待つであろう。

 よって、例題の局面にはならないのである。

 この答えには、将棋の米長邦雄永世棋聖の、NHK杯解説での名言が影響している。

 『将棋で、強い人と弱い人との違いはどこにあると思いますか?自分が負けた将棋で、感想戦の後に、自宅に戻って更に研究をする。その際に、敗因をどこまで遡れるかによって、実力は違ってくる。強い人ほど、終局から初手の近くまで遡るのです。』

 これは私にとって、忘れらない名言の一つであり、将棋の世界だけでなく、他の世界にまで通ずるものがある。

 仕事などでミスをしてしまった時にも、その原因をどこまで遡るかによって、次に活かす事ができる。

 麻雀も同じ。振り込んだ局面ではなく、そこに至った経緯が大事である。

 最下位になった局でも、オーラスだけが大事ではなく、もしかしたら敗因は東1局にあったのかもしれない。

 私は短気な性格だが、この名言を聞いてから、少しは冷静に局面を見ることが出来るようになった気がする。

 将棋では、大局観という言葉を使うのだが、麻雀でも大きく局面を観るような、そんな雀士になりたいものである。


2009年7月28日 (火)

夢の跡

 あれはまだMFC2の時代。ホームショップに、白髪交じりの50代と思わしき一人の常連客がいた。20年後の私の姿か。

 そのオッチャンは東風専門で、毎週確実にAⅠ(当時の最高峰)維持を積み重ねていた。

 そんなある日、そのオッチャンは別の店で打っていたらしく、東風AⅠで偶卓することとなった。

 念のため長考挨拶をしたが、当然のごとく返事は無い。ただの顔見知りさ。

 さて実力はいかに、と闘牌を開始したが、これが強くて渋い。こちらが染めようものなら、頑なに止めてくる。戦っていてワクワクしたのが昨日のようだ。

 その後、なんと6戦連続しての同卓と相成った。当時は、現在よりも設置台数が少なく、競技人口も少なかったため、同一人物と連戦することが多かった。

 今頃あのオッチャンは一体何をしているのだろうか。相変わらず東風で渋く打ち回しているに違いない。

 AⅠに行けば猛者がゴロゴロ存在していたMFC2。あの頃の緊迫した戦いが懐かしい。

2009年7月13日 (月)

第3回皇帝杯

 あれは、まだMFCと出会って間もない頃だった。Ver.はMFC1。

 私が朱雀四段の時に、第2回皇帝杯が開催された。決勝で優勝すれば褒美珠は4個。四段の私にとっては最大のチャンスであった。

 予選は難なく突破し、いざ決勝戦。当時は日曜日だけの一発勝負。朝から友人と赤台に陣取り、夜まで延々と打ち続けた。

 そして、友人との激戦の末、見事に優勝をもぎ取ることに成功した。

 あれから6年が経ち、いよいよ第3回皇帝杯が開催される。時期的に最悪のタイミングではあるが、第2回皇帝杯所持者として、少しくらいは参加したいところだ。

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2009年2月26日 (木)

立直について

 立直について記述してみたい。雀士それぞれの考えがあるため、賛否両論あるかとは思うが、批判を恐れず書いてみよう。

 小生は、立直に対して消極的である。立直によって相手の手を牽制する、という戦術も理解できる。しかし、そこには一長一短が存在し、牽制すると同時に、防御能力を失うこととなる。

 また、全員がベタオリした場合、ツモ和了は33%程度のため、3回に2回は和了機会を逸する計算になる。

 点数は低くなるが、自分がダマ和了することで相手の好機を潰すというメリットを考えれば、計算は成り立っていると考える。

 また、テンパイしてもダマで回しているうちに、相手の立直が入ることがあるが、小生はこれをチャンスと考えている。

 ここが、立直優先主義の方々と考え方が異なる点かと思われる。つまり、自分の立直で相手を潰すという考えであれば、相手の先制立直は許せないところなのであろう。しかし、小生は相手に立直をかけさせ、防御能力を逸しさせてからの追っかけ立直が一番効果的だと考えているのである。

 本来、麻雀について語るほどの腕前を持ち合わせてはいないが、麻雀を打てない現況のためお許し頂きたい。賛否両論あるかと思われますので、ご意見がございましたら是非コメントを頂戴できれば幸いです。

2009年2月23日 (月)

新モードについて

 先日、MFCの公式HPにおいて、新しい6つのモードが発表された。詳細はHPに任せるとして、小生が思うところを記述してみたい。

 まず率直な感想は、残念の一言である。導火線卓が導入された時と同じ感想だ。

 そもそも私がMFC1を打ち続けた理由は、リアル麻雀の代用であった。社会人にもなると、四人が集まることは容易でない。そこで、手軽に四人麻雀を打つことができるMFCを楽しんでいたのである。つまり、黄龍オーブ等はモチベーションアップの役割に過ぎず、ただひたすらに強い相手を求めて上位リーグを目指したのである。

 時は流れてMFC7。鳳凰リーグ創設のために、最高峰リーグのみのマッチングが無くなり、挙げ句の果てにはリアル麻雀と掛け離れた新モードまでもが追加された。

 MFC7は、私が求めているゲームではなくなった。しばらくは惰性で打ち続けるであろうが、一体どうなることやら。こればかりは成り行きを見届けるほかはない。
 
 所詮ゲームはゲームなのか。残念でならない。

2008年12月 5日 (金)

麻雀格闘倶楽部7 改悪点②

 麻雀格闘倶楽部7が稼動を始めて早半年が過ぎようとしている。ここで、MFC7に思うことを綴ってみようと思う。

 MFC1から打ち始めているため、MFC7は7作品目のゲームとなる。一番の目玉は三麻サバイバルリーグの創設であろう。参加人数から考えれば、かなりの人気を得ているようだが、残念ながら小生は三麻を打たないため、総評することができない。

 もう一つの目玉は、鳳凰リーグの創設であろう。黄龍のみが参加できる点は、とても素晴らしいアイデアであり、段位者とのマッチングが無くなったことは、素直に嬉しい。

 しかし、この鳳凰リーグの創設こそが、私が思う改悪点になろうとは予想だにしなかった。それは、S~SSSリーグまでの混在したマッチングである。

 私が麻雀格闘倶楽部を打つ理由の大きなところは、全国の猛者と戦えるという点であった。MFC6までの半荘AⅠリーグは、間違いなく最高峰の戦いであったと考える。

 では、今はどうであろう。たとえSSSリーグまで駆け上ろうと、相手にSリーグの黄龍がマッチングされるのである。これでは、上位クラスを目指す向上心が薄らいでしまう。

 また、鳳凰リーグの在籍人数増加により、全体的なレベルの低下は否めない。MFC6までのA~Bリーグが混在しているかのような感覚である。

 過去、バージョンダウンと酷評されたMFC3と比べても、今回のMFC7は改良点より改悪点の方が大きいと感じているのは私だけであろうか。もし今後、Sリーグと、SS~SSSリーグが別のマッチングになるのであれば、私も上位リーグを目指そう。そうでなければ、残念ながら暇潰し程度の闘牌が続くこととなる。

2008年11月21日 (金)

回顧録:半荘リーグについて

 大人気の半荘リーグ。週末ともなれば、4,000人以上が接続し、熱い戦いを繰り広げている。

 半荘リーグが登場したのは、MFC2からである。それ以前は、東風の全国対戦(現在の段位別東風)しか存在していなかった。まさかゲーセンの麻雀ゲームで半荘が打てるとは、と興奮を隠せなかったことを昨日のように覚えている。

 しかし、導入当初は半荘リーグを打つ機会が少なかった。これは私だけではなく、全国的にも参加者は少なかったのである。

 その原因は料金体系にあった。当時は、どこもかしこも入場料が200円、買取300円の計500円が必要であったため、相当な資金を必要とした。

 さらに、問題だったことは、持ち点が20,000点スタートであったことである。これにより、東一局で親の倍満が直撃すると、わずか5分で500円が水の泡と帰すのである。私も経験があるが、あの虚しさだけは忘れられない。

 MFC3から、持ち点が現在の25,000点に変更された。また、この頃から料金の店舗間格差が現れてきた。神設定と呼ばれる店までもが登場し、打ち手としては喜ばしい展開になったのである。

 このような歴史を辿り、半荘リーグは徐々に人気を博してきたのである。

2008年8月13日 (水)

地域ランキングについて

 私は以前から、地域登録を鹿児島県として在籍し、かれこれ4年以上、地域ランカーを維持している。

 しかし、地域登録はver.upの度に変更できるため、毎回若干の変動を繰り返している。

 覚えている限りで言えば、MFC5の末期には32位まで上昇したが、MFC6導入時に50位前後に落ち込んだ。

 そして、MFC6末期には、再度37位前後まで上昇したのだが、今回のMFC7導入により、再度50位前後まで下降してしまった。

 何故か毎回ver.upするごとに、鹿児島県に猛者がやって来る。こればかりは防ぎようが無い。また30位近辺を目指して頑張ることとしよう。

2008年7月17日 (木)

麻雀格闘倶楽部7 改悪点

 昨日、MFC7を打った記事を載せた際、Cリーグの方達との対戦は経過措置なのかと考えていたが、公式HPを見て愕然とした。

 「麻雀格闘倶楽部7」より新設された「麻雀格闘倶楽部リーグ」では、プレーヤー同士のマッチング率を向上させる為、人数によりマッチング範囲を変更する仕様となっております。~HPより抜粋~

 プライマリリーグで統一されると言うことは、AⅠからCⅢまでが同卓することとなる。恐れていた改悪点が、早くも露呈された。

 これを良しとする皆様もいらっしゃるであろうが、個人的には改悪点にしか思えない。猛者との勝負を望むならば、嫌でも鳳凰リーグに在籍するしかない。インカム向上を目指すコナミの考えそうなことだ。

 せめてA、B、Cリーグ別に分けてもらいと、切に願う。

2008年7月14日 (月)

麻雀格闘倶楽部 海外について

 皆様ご存知の通り、麻雀格闘倶楽部は、国内だけにとどまらず、香港市場にも出回っている。

 MFCファンの中には、香港勢が嫌いだという意見も耳にするが、小生は、より多くの参加者がいることは良いことだと思っている。

 現在では、海外=香港だけであるが、MFC1の頃には、実は台湾にも設置がされていた。対戦成績の欄にも、台湾の地図があったような記憶がある。

 しかし、残念ながら現在、台湾には設置されていない。これは、台湾の法律が変わってしまい、ゲーム自体が法律違反に含まれてしまった、と言う話を聞いたことがある。

 コナミの海外戦略にとって、これは痛手だったに違いない。もし、台湾で規制がかかっていなければ、現在の香港と同じ規模の市場が形成されていたことであろう。

 MFC6から、外国人プロも参戦していることから、おそらくコナミの海外戦略は終わっていないはずである。遠い将来、アジア・アメリカ・ヨーロッパ等にも普及することはあるのであろうか。楽しみである。

2008年7月10日 (木)

麻雀格闘倶楽部7 期待値

 麻雀格闘倶楽部7のHPが更新され、その概要が少しずつ明らかになってきた。

 今回のメインは、三麻サバイバルリーグなのであろうが、私自身、三麻は黄龍闘技場でしか打っていないので、あまり興味が無い。

 私が好感している変更点は3つ。

 一つ目は、半荘におけるオーブの移動方法である。今回の変更により、1位の重要性が高まるであろう。今までのように、2着で黄珠狙いの方が得、といった不満は解消するはずである。

 二つ目として、鳳凰リーグの条件。黄龍のみが参戦できることにより、段位者とのマッチアップが無くなり、これも好評を得ることであろう。

 三つ目として、鳳凰リーグの自動降格システム。これにより、現在の在籍しているだけのトリプルAⅠという者はいなくなる。やはり、最高峰のリーグは維持することに意義がある。

 個人的には、資格試験が4週間後に迫っているため、なかなか打てる状況ではないが、やはりMFC7の導入が気になってしまう。
 

2008年7月 3日 (木)

麻雀格闘倶楽部7 導入を前に

 私がMFCと出会ったのは、MFC1の末期だった。

 あれから5年半の月日が流れた。途中、愛する人と出会い、儚い恋に落ちた頃もあった。勉強に没頭した頃もあった。しかし、カードのデータが消えないよう絶え間なく打ってきた。

 間もなく、私にとって6回目のver.upを経験することとなる。

 ver.upで気になることと言えば、改善点と改悪点。MFC2には熱狂し、MFC3には興醒めした。色々な経験をしてきた。

 MFC関連の掲示板を覗かせて頂くと、常に話題に上るのが、改善してほしい点。これは、この5年間、変わりが無い。

 つまり、どのご時世になっても、人は常に良い物を追い求める。ダメなところに目が行ってしまうものなのだろう。

 どんなに欠点を直しても、また新しい粗が見つかる。これの繰り返し。

 私も短い目で見れば、直してほしい点は多々ある。

 しかし、長い目で見れば、良くなってきた箇所も、実は多い。

 回線速度の高速化、回線切れの減少、設置店及び参加人数の増加、指紋認証の削除など。MFC1の頃に抱いていた不満は、解消の道を辿っている。

 最近MFCに参加された方々も、多々不満はあろうかと思われますが、ぜひ長い目で見てあげてほしい。所詮はゲーム、人が作ったものだ。良いところもあり、悪いところもある。

 最新の野球ゲームはベースボールヒーローズであろうか。思えば20年前、バグだらけの『燃えろプロ野球』があったからこそ、今があるのだと私は思う。

 MFC7の登場を楽しみに、明日からまた頑張ろう。

2008年6月21日 (土)

麻雀格闘倶楽部7 概要

 麻雀格闘倶楽部7のサイトがオープンされ、トナメの廃止が確定した。

 以前、回顧録にてトナメの軌跡を記述したことがあるが、改めて振り返りたいと思う。

 MFC3の導入とともに、初めてトーナメントが登場した。今のトーナメントリーグとは全くの別物で、12分間の時間制という、今考えれば大変異質な代物であった。

 優勝すれば、現在の☆ではなく、優勝ごとに黄珠1個を貰うことができ、さらに深夜の時間帯は弱いプロcpuばかりであったため、黄龍オーブのインフレが発生した。

 この頃のトーナメントは、ロケテストの頃から反対意見が多かったにもかかわらず、当時の製作者サイドが強引に導入したのであろう。

 このトーナメントの登場のせいで、MFCから離れた猛者も多いと聞く。結局、1年後のMFC4導入時に、現在のトナメリーグに姿を変えたのである。

 MFCの歴史を顧みる際に、このトーナメントは、悪い意味で避けては通れない代物である。

 私にとっても、MFC3の頃のトーナメントは大の嫌いで、その頃に一度MFC熱が冷めた経験があるのだが、MFC6では大変お世話になったし、楽しむことができた。

 廃止になるのは寂しい限りだが、麻雀格闘倶楽部というゲームに、トーナメントがあったことだけは忘れないでおこう。

2008年5月31日 (土)

大会の思い出~松屋杯~

 現在、雲蒸龍変~夏の陣~の決勝戦が行われている。半年に一度のSG大会として、今後も実施されていくのであろう。

 以前の回顧録にて、GⅠについての記述をしたが、昔は、コナミが他社と提携した特別大会も行われていた。

 その一つに、牛丼屋でお馴染みの松屋と提携した『松屋杯』という特別大会が、MFC2の頃に実施された。

 当時の私は、MFCを打ち始めて半年の頃であり、駆け出しの黄龍として、日々熱狂的に打ち込んでいた。

 全国優勝を目指して、決勝戦では鬼打ちを敢行した。当時の横浜には24時間営業の店は無く、朝から夜までの健康的な鬼打ちであったが、夕方頃に猛爆し、周りで打っていた友人も、センターモニターに映る私のカード名を凝視していた。

 結果は全国5位。黄龍オーブ+10個。今もMFCの初代HPに名前が掲載されている。

 後にも先にも、特別大会で上位に食い込んだのは、この大会だけである。

 このブログに松屋の名前がよく出てくるのは、そのときの恩返しの意味もあるか。

 あの頃も楽しかった。

2008年4月21日 (月)

皇帝杯

 麻雀格闘倶楽部において、GⅠの存在をご存知だろうか。

 GⅢは9:00~21:00までの3時間ごとに発生し、GⅡは一定の条件を満たした際に発生する。
 
 GⅠはMFC6の現在、発生しない。

 しかし、私はGⅠタイトルの一つである皇帝杯の称号を保持している。

 GⅠは、MFC1、2の時代にしか存在せず、3が導入されてから一度も開催されていない。

 現在のSG大会では、当然全国単位での大会だが、当時のGⅠ大会は、店単位での大会という特徴的なものだった。

 対戦自体は全国対戦なのだが、争う順位は店舗内のみ。イメージは現在の店舗内クラブスコアのようなもの。

 予選で上位8位に入った者が、週末の決勝戦で勝負する。当然、その予選を通過した店舗でのみ勝負することができる。

 決勝で優勝するとオーブが4個、準優勝で2個、3位で1個であった。当時は☆制度が無く、オーブを増やすことが難しかったため、この優勝ご褒美がとても大事で、時間を作って鬼打ちしたものだ。

 GⅠタイトルは、全部で6個存在するらしいが、私がMFCデビューした頃には、MFC1が登場して半年以上が経過していたため、GⅠの称号は一つしか保持していない。

 今となっては、幻の称号の一つと言えよう。

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2008年3月14日 (金)

麻雀格闘倶楽部7

 MFCを打ち始めて早5年。毎年3月になると新しいver.に変更されてきた。しかし、今年に限っては春になってもロケテストの噂すら耳にしない。調べてみたところ、MFC7は2008年の夏に発売予定のようだ。

 ver.upするとコナミにとっては、新しいソフト販売ということで各ゲーセンから収入があるわけだが、もちろんゲーセン側からすれば負担でしかない。

 その負担に代わるものが、今まではカード販売であったのだろうか。MFC4までは麻雀格闘倶楽部専用のカードを使用していたため、ver.upされる度に新しいカードを購入していた。

 しかし、4→5への移行時にアミューズメントパスに取って代わり、今後は新しいカードへの更新制度は不要であろう。

 これはMFC7の導入に影響があるのだろうか。事の真相は不明だが、しばらくはMFC6で遊ぶことになりそうだ。

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2008年2月21日 (木)

黄龍王位決定戦

 2/21(木)、第2回黄龍王位決定戦の予選が開始された。

 ちなみに、第1回は今から4年半前、まだMFC2の時代であり、今まで参加した大会の中で、最も記憶に残る大会の一つである。

 当時は☆制度もガラスチャージ制度も存在しなかったため、黄龍オーブを増やすためには、直接対戦者から奪う他なかった。つまり、現在の今期東風や今期半荘による純増分だけである。

 そんな最中、開催されたのが第1回黄龍王位決定戦であった。今回との相違点は、予選が無く、一週間まるごと決勝戦であったこと。

 当時は黄龍自体の数が少なかったため、大会に参加すれば毎回黄龍オーブ争奪戦になること自体に興奮し、毎日時間を作ってゲーセンに出向く日々が続いた。

 最大のメリットは、段位者がいないこと。つまり、4人揃わない場合には、CPUさえも黄龍として登場したのである。

 当時のCPUはとても弱く、ほとんど3着又は4着になってくれた。よって、普通に打っていれば2着以上が確約され、毎日のように黄龍オーブを増やすことに成功したのである。

 先述したが、当時は黄龍オーブを増やすことが容易ではなかったため、累計20個前後だった私にとって、この一週間はお祭り状態であり、倍増することに成功し、マスター落ちの危機から遠ざかったのである。

 おそらく、現在の黄龍闘技場の原型がこの大会だったのだと推測します。

 遠い日の古き良き思い出です。

2008年2月 8日 (金)

朱雀

 私の属性は朱雀である。しかし、私の周りの友人は揃って異を唱える。実際、過去累計の四神グラフを見れば一目瞭然である(後日掲載予定)。和了率が一番悪いのだから。

 MFCの属性は、級位から初段に昇格した際に決定する。私はカードを買ったその日に、ゲーム性を把握せずに初段になるまで打ち込んだ。

 所詮、今日だけの遊びだから・・・、という気持ちで打っていたため、和了回数が多くなってしまったようだ。

 その結果、朱雀黄龍となったのである。

2008年1月18日 (金)

ライフ制or買取制

MFCではライフ制と買取制がありますが、最近の私は買取制しか使いません。理由は近くの各店が買取のネクスト料金を値下げしたためです。

しかし、MFCの1や2の頃は、買取のネクスト料金は高すぎたため、当然のようにライフ制で戦っていました。

しかも当時はノーテンの際の点数さえもライフポイントが減っていたため、一人ノーテンをしてしまうと既にライフは残り2,000。すぐそこに次の100円玉が見えてくるような状態でした。

今はノーテンでもライフが減らないため、以前より堅く打つ対戦者が多くなった気がします。

全体的な料金の値下がりが私のMFC依存症に起因していることは否めません。

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戦跡なし

2008年1月17日 (木)

われめdeポン

テレビで麻雀といえば『われめdeポン』

その放送は、私が学生の頃に始まった。当初は30分番組で収録放送でした。

MFCのトナメのように16人のトーナメントになっていて、上位2着までが次へ進出する形式でした。

私の記憶が正しければ、優勝者は坂上忍さんでした。

他には和田アキ子さんや石橋貴明さんも1回戦に出場しており、深夜の番組にしては豪華すぎるメンバーでした。、「優勝賞金100万円以外ギャラは無し。」と実況していたが本当だったのだろうか。

学生時代、毎日のようにリアル麻雀を打ってはいたが、他人の打牌を見る経験が無かったので、この番組は毎週録画して見ていました。上手下手は抜きにして、とても参考になりました。

トーナメント形式の30分番組が終わった頃、生放送の特番が実施され、今に至っています。

ただ、当時は番組の最後に必ず次回放送日を予告していたので、その日にあわせて録画のセットをしたものですが、最近は不定期で、次回予告も無くなってしまいました。これはとても残念です。

また、番組開始当初から実況を務めている野島卓アナウンサーの実況スタイルがとても好きです。野島アナがアメリカへ赴任していた数年間は、われポンファンの私にとってみれば残念な期間でした。戻ってきてくれて嬉しく思っています。

放送していると思わず朝まで見てしまうので、体力的には厳しいのですが、今後とも末永く放送して頂きたい番組の一つです。

2008年1月11日 (金)

MFC依存症への道②

MFCの虜になってしまった原因は、カードデータによる戦跡の保存です。

学生時代に勝てることが多く、多少の自信はありましたが、フリーで打った経験もなく、本当に自分は強いのだろうかという疑義がありました。

学生時代に麻雀を一緒に打っていた友人もMFCを打っていたため、全国の猛者との比較ではなく、その友人と比較したいという気持ちで一杯でした。

戦跡が増えるに連れ、自分の打ち筋や勝率などが分かり始めると、より一層麻雀が強くなりたいという衝動に駆られ、仕事が終われば真っ直ぐゲーセンに通う日々。自分自身の麻雀レベルを育てる『育てゲー』の感覚だったのでしょう。

MFC2からリーグ戦(東風リーグ・半荘リーグ)が導入され、自分の強さを証明するためにはAⅠで戦い続けることだと考え始め、日々昇格ポイントとの戦いでした。

こうしてコナミの思うツボに嵌っていったのです。

つづく


本日の戦跡
金+1(☆によるもの)
ガラス±0
累計405個

2008年1月10日 (木)

MFCの変遷

MFCが導入された1の頃は、全国対戦(現段位別東風)と店内対戦の2つのモードしかなく、必然的に全国対戦へ参戦していました。

私は1の末期に参戦を始めましたが、当時は夜の時間帯で約4,500人ほどの接続人数でした。

MFC2から東風リーグ及び半荘リーグが導入され、私もAⅠ(当時SAは存在しません。)を目指しました。

東風も半荘もAⅠに達した頃、私のMFC熱もピークに達してしまい、仕事帰りは毎日ゲーセンへ直行していました。まさに病気です。

この頃は今と比べてゲーセンの導入台数も少なく、料金も高かったため苦労しました。少しでも安い店を選べば満員で順番待ちを強いられ、空いている店はデフォルト料金。半荘2回で1,000円使ったこともありました。そこまでしてでもAⅠ残留を続けたかった。今思えばただの麻雀バカです。

当時の自分の金銭感覚は、映画より安ければOKという感じで、つまり2時間で1,800円まではいかない程度MFCに使っていました。6時間で千円札を4回両替した記憶も残っています。今ではその頃の半額くらいでしょうか。

MFC3でトーナメント(以下トナメ)が導入されました。現在のトナメとは全く異なるもので、ロケテストの段階で導入反対の声が多数ありました。私もこのトナメが導入された頃から熱が冷め、徐々にMFCから離れていきました。

この頃のトナメは12分間の時間制限で、東場が終わらなかろうが、南場までいこうが関係なし。東1で満貫を和了した人が、次の局から遅延行為などざらに見られました。ほとんど麻雀ではありません。
しかもトナメで優勝すれば黄龍オーブ1個(現在は☆1個)が貰え、深夜の時間帯はプロCPUばかり。

上記に加え、当時は☆5個で黄龍オーブが貰えたため、黄龍オーブのインフレが発生し、それまで苦労して集めたオーブの価値が一気に下がりました。ロケテストで毎日20個以上、5日で100個以上増やした人もいたそうです。

MFC4でその問題を起こしたトナメが姿を変え、現在のリーグ制となり、☆も5→10個で変換となり、インフレも少しだけ収まった気がしました。黄龍闘技場も導入され、私も参戦を楽しみにしていました。

私的には3&4の頃は、付き合っていた彼女がいたため、参戦数は激減していました。

MFC5では、オーブチャージに感動しました。それまでは邪魔扱いしていたガラス珠5個で黄龍オーブ1個が貰えるとは。
考えた人は素晴らしい。
ビリ争いの時は段位者にわざと振り込み、トップの時は段位者からの和了牌を見逃していましたが、この頃からガラス珠でもOKという感覚が少しずつ芽生え始め、私のMFC熱も少しずつ復活してきます。

そして、MFC6から三人打ち&競技卓が導入され、現在に至っています。

6が導入された頃から私の主戦場はトナメになり、仕事帰りや週末にトナメAⅠ維持及びSAを目指して格闘しています。


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戦跡なし

2008年1月 3日 (木)

MFC依存症への道①

麻雀牌を初めて触ったのは幼稚園の頃。
今は亡き祖父の遊び相手に、訳も分からず牌を握っていました。

小学3年生のとき、親戚の家で正月麻雀をした記憶がある。
手役すら知らなかったけど、数字を揃えれば大丈夫と教わり、マンズの一通を和了した。
これが麻雀人生で初の和了。

手役や点数を覚えたのは中学2年の頃。
友人に誘われたのがきっかけ。これが麻雀バカ学生への第1歩。

大学へ進学し、まじめに勉強するはずが遊び三昧の日々。
パチンコ、パチスロ、麻雀にビリヤード等。
クランキーコンドルという機種のおかげで4年間アルバイトをせずに過ごせました。

当時、麻雀では4人目の男という存在でした。
・PHSを持っていた
・バイトしてない
・点数計算ができる
・麻雀卓では人見知りしない
・そこそこ明るい
などの理由から、とりあえず3人集まればアイツがいる!という感じ。
授業もさぼって雀荘にいる日々。楽しかったなぁ。後々苦労しましたが。

大学を卒業すると必然的に麻雀からは遠ざかりました。
社会人となり、まじめに働いていたとある休日。
パチプロをしている友人に電話をすると、すぐ近くのゲーセンにいるとのこと。
行ってみると真っ赤な筐体の麻雀ゲームにその友人は没頭していました。

『やってみなよ!』

ゲーセンでコナミのゲームをやるのはグラディウス以来か?
まさかこのゲームを6,500戦以上やるとは夢にも思わなかった。
お金を懸けているわけでもないのでガンガン勝負して、
大きな和了ばかりを目指し、そして病み付きになっていきました。


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