カテゴリー「ゲーセン:回顧録」の4件の記事

2014年3月31日 (月)

消費税の影響

2014年4月1日(火)

 消費税率が5%から8%に変わる。そして1年半後には10%になる予定だ。この消費税が、愛するゲーセンを苦しめることになる。

 初めて1人でゲーセンで遊んだのは6歳の頃。今から32年前の話。

 当時、希望ヶ丘駅から徒歩5分ほどの場所に祖父母が住んでおり、週末に遊びに行くと、祖父が発行されたばかりの500円玉をくれた。ピカピカに光る500円玉を握りしめ、近くの駄菓子屋やゲーセンへと向かう。

 祖父母宅から徒歩15秒、『ミカド』というパチンコ屋の2階にゲーセンがあった。当時、自分がどんなゲームで遊んでいたのか詳しいことは忘れてしまったが、薄暗い店内で寂しく背中を丸めて遊んでいたことだけを覚えている。

 あれから32年。あのゲーセンは、とうの昔に閉店しているというのに、まだ卒業できていないのは小生だけであろうか。

 10円玉、50円玉、100円玉を握りしめ、ゲームの筐体に何枚のコインを流し込んできたのだろう。そう、今も昔もゲーセンはワンコインの文化が根付いている。この長い歴史を根底から崩そうとしているのが消費税の存在だ。

 コンビニであれば、100円の商品には消費税8円を乗っければそれでよい。しかし、愛するゲーセンでは、そうは問屋が卸さない。1ゲームごとに108円を筐体に流し込むことは無い。

 消費税の存在が無かった昭和の頃は、100円を入れれば、100円がゲーセンの取り分であった。しかし、消費税率が8%になれば、100円のうち約8円が消費税で、取り分は約92円しかない。売上高が同じであれば、昔より取り分が少くなるわけで、消費税率が上がれば上がるほどゲーセン経営は苦しくなる。

 横浜駅のゲーセンも閉店が続いている。ここ数年で、私が知る限り4店舗が店を閉じた。消費税だけが原因ではないが、昔ながらの昭和の匂いがするゲーセンは減り続ける運命なのであろう。悲しい限りだ。
 
 

2009年3月20日 (金)

ハマボール イアス

 二年間の沈黙を破り、ハマボールが復活した。

 以前の記事でも記述したが、ハマボールとは横浜駅の近くに古くから存在していたボウリング場である。

 ボウリング、バッティングセンター、アーチェリー、ビリヤード、アイススケート、カラオケ、ゲームコーナーと様々な娯楽で賑わい、若年層の憩いの場として人気を博していた。もちろん私にも様々な思い出がある。

 しかし、その牙城を崩さんと参戦してきたのが、かの有名なラウンドワンである。

 立地条件も味方して、いつしか地位は逆転し、ハマボールは勢いを失い、撤退を余儀なくされた。

 あれから2年。装いを新たにハマボールが復活したのである。早速店内を覗いてきたのだが、以前の庶民的な風情は消え失せ、高級志向のテナントが並んでいた。

 そして、一番楽しみにしていたゲームコーナーは、存在しなかった。私見ではあるが、ボウリング場にゲームコーナーが無いのはナンセンスに感じる。待ち時間がある時には、どうすればよいのであろうか。

 残念ながら、ラウンドワンには勝てなかろう。

 古き良き時代は、遠く彼方へ行きにけり。

2008年7月29日 (火)

ゲーセンとの出会い②

 小学生になると毎週末、祖父に電話で呼び出され、当然のように一人で電車に乗り、泊まりに行っていた。発行されたばかりの光沢のある500円玉を貰い、ゲーセンに通う週末。

 当時のゲーセンは、どこか薄暗く、地元の不良中学生の溜まり場といった風情。もちろん女性の存在などは皆無だった。

 また、当時のボウリング場には必ずゲームコーナーが存在していたが、脱衣麻雀が中心で、遊ぶ人がほとんどいない飾り的存在だった。

 つまり、あの頃はゲーム自体が社会的に認知されていない時代だったと感じている。

 この状況を打破したのが、言うまでも無くファミコンの登場である。家庭用ゲーム機のおかげで、ゲームの社会的地位は上昇した。私も『アイスクライマー』や『エキサイトバイク』に熱中したものだ。

 中学生の頃になると、ゲーセンにも変化が訪れる。メダルゲームの台頭。クレーンゲームやプリクラの登場。

 男の溜まり場から、カップルでも入れるような雰囲気に少しずつ変わっていった。

 そして現在。過去のゲーセンとの最大の違いは、カードによるデータ保存及びネット対戦である。昔のゲーセンのゲームは、ハイスコアを叩き出しても翌日にリセットされていたが、今では自分の成績のみならず、他人の成績と比較することまで可能となり、遠方の人々との対戦までもが可能となった。

 あらゆるゲームで技術や知識を磨いて、ゲームを楽しむ。昔から考えれば、夢のような状況だ。

 また、あの飾り的存在だったボウリング場のゲームコーナーまでもが進化し、全国展開しているラウンドワンでは、たくさんのカップルでゲームコーナーが賑わっている。最新のゲーセンをボウリング場に取り込んだラウンドワンの経営方針を構築した人は、個人的に秀才だと思う。

 私が生まれ育った横浜にはハマボウルという絶対的なボウリング場が存在していたが、ラウンドワンの登場により廃業に追い込まれた。その差は立地条件だけではなく、ゲームコーナーにもあったのだろう。

 何も変わっていないのは、30年近くゲーセンに通い続けている私だけか。

ゲーセンとの出会い おわり

2008年7月28日 (月)

ゲーセンとの出会い①

 ゲーセンとの出会いは幼稚園の頃。今は亡き祖父の家に遊びに行く度、お小遣いを貰って、近くの駄菓子屋とゲーセンで一人寂しく遊んでいた。

 当時は500円玉が発行されたばかりの時代で、500円札か500円玉を貰っていた。どちらにせよ、幼稚園児には大きすぎる小遣いだった。

 ゲーセンは近くのパチンコ屋の2階にあり、当時のゲーセンにしては大きな店だった。1ゲ-ムにつき20円又は50円で、インベーダーゲームを中心としたシューティングゲームが多かったような気がする。

 幼稚園児だった私が覚えているのは、店の壁にライトが付いていて、走ってくる光りに合わせてボタンを押す野球ゲーム。関口宏のフレンドパークに似たようなゲームがあるが、あれを見ると幼稚園の頃を思い出す。

 また、国盗合戦というゲームがあったが、当時はルールが分からずに遊んでいた。楽しかった思い出があるから、まぁそれで良かったのだろう。

つづく