カテゴリー「旅日記(麻雀以外)」の10件の記事

2014年6月11日 (水)

小さな冒険

 平成元年8月。父が他界してから初めて迎える中学2年の夏休み。新盆の法事に参列するため、父が生まれ育った鹿児島県指宿市まで、母と私の2人で行くことと相成った。

 お盆の時期ということもあり、飛行機も寝台特急もチケットを取ることができず、困り果てた母は駅で事情を説明すると、名古屋-西鹿児島間の臨時特急があることを駅員さんから教えてもらったそうだ。そのチケットを手に、2人で鹿児島へ向かうことになる。

 出発当日、13歳の少年は遠足気分だった。もともと電車が大好きで、しかも聞いたこともない臨時特急に乗れるとなればテンションは最高潮。もはや法事のことなど気にもしていない。

 うだるような夏の陽射しの中、まずは新子安駅から新横浜駅に移動し、新幹線で名古屋駅に到着した。ここまでは楽しかった、ここまでは。

 臨時特急の発車時刻までは小一時間。母が、数日前にテレビで見た駅弁特集で1位になった弁当が食べたいと言う。もちろん反対する理由もなく、一緒に駅構内の弁当売り場を探した。しかし、どの売り場にも目当ての弁当は見当たらない。それでも諦めない母。発車時刻寸前まで探したが手に入れることはできず、少量の菓子とお茶だけを購入して臨時特急に乗り込んだ。


 『残念だわ。どうしても食べたかったのに。しょうがない。弁当は車内販売で買えばいいわよね。』

 『そうだね。』


 臨時特急は定刻にゆっくりと動き出した。寝台列車ではなく、クッション性の少ないカチカチの椅子で、リクライニングを倒そうとしても10cmくらいしか動かない。これで十数時間の長旅をするのかと思うと、最高潮だったテンションも萎んでくる。

 名古屋駅を出発してどれくらい経過したであろうか。車窓の外は暗くなり、お腹が空いてきた頃、車掌の車内アナウンスが聞こえてきた。途中駅の到着時刻を読み終え、最後の言葉に愕然とした。

 
 『なお、車内販売はございません。』


 終わった。目当ての弁当がどうしても食べたかった母は、代わりの弁当を買っていない。あるのは少量の菓子だけ。時間が無かったのならまだしも、1時間近く駅構内の売り場を歩き回ったのに、手元に弁当は無い。ふて腐れる少年、謝る母。ほぼ無言のまま、臨時特急は西へと走る。

 いつしか眠りにつき、気付けば朝を迎えていた。腹ペコだ。

 途中停車駅のうち、停車時間が少しだけ長い駅にてダッシュで駅弁を買いに行き、約20時間ぶりの食事をとることができた。機嫌を直す少年、安心する母。臨時特急は西から南へと進路を変えた。

 車窓の外は長閑な風景が続き、母と他愛のない会話を続けている。亡き父の思い出話をしたような気もするが、もう25年も前の話だ、細かい会話までは残念ながら覚えていない。

 ようやく臨時特急は終点の西鹿児島駅に到着した。くたくたな身体に鞭を打ち、今度は指宿枕崎線へと乗り換え、目的地の指宿駅まで約90分。やっとのことで父が生まれ育った指宿市に辿り着くことができた。この時の達成感だけは忘れない。


 数日後、新盆を終え、母は仕事があるため先に帰ることになっており、少年は折角の機会だからと祖父宅に泊まらせてもらうことになっていた。

 一週間後の帰りのチケットを母から受け取り、母は少年を鹿児島に残して1人で立ち去った。

 少年は3人兄弟の末っ子であったが、兄とは歳が離れているため、限りなく一人っ子に近い性格をしている。祖父宅にて一人で遊んでいても、寂しさを感じることはない。庭でゲートボールを使った遊びを自分で考え、陽が暮れるまで一人で遊んだ日もあった。

 たくさんの親戚にも会わせてもらった。その全員が、父と少年がとても似ていることを喜び、そして、涙した。

 あっという間に一週間は過ぎ去り、いよいよお別れの日。母から受け取ったチケットを改めて見てみると、往路と同じ西鹿児島-名古屋行きの臨時特急の特急券と、横浜市内までの乗車券だけ。これだけあれば息子は必ず横浜まで帰ってくる、母はそう思っているのだろう。13歳の少年は、母から大人の扱いを受けていると考え、喜んだ。

 お世話になった親戚の皆様にお礼を言い、指宿駅を出発する。いとこのお姉ちゃんが西鹿児島駅まで同行してくれた。西鹿児島駅前で白クマアイスをご馳走になり、弁当も買ってくれた。今度は大丈夫、同じ過ちは繰り返さない。大きなリュックを背負い、右手に弁当を握りしめ、臨時特急に乗り込んだ。お姉ちゃんに手を振ると、列車は動き出した。小さな冒険の始まりだ。

 隣の席は誰もいない。車内は6割くらいの乗車率だったであろうか。静かな車内で、買ってもらった弁当を黙々と食べる。横浜まで無事に帰れるのだろうか。名古屋駅からどの電車に乗ればいいのだろうか。13歳の少年の心は、不安な気持ちで一杯になった。

 夜も更け、乗客のほとんどが寝ているようだ。だが、少年は眠れなかった。たった一人、もし寝ている間に荷物を盗まれたらどうしよう。リュックを両腕で抱き締め、目だけを閉じて時間が過ぎていく。結局、一睡もできずに朝を迎えた。

 祖父宅での一週間では寂しさなど微塵も感じなかったというのに、車内で一人、寂しさで震え、涙も流していた。

 十数時間後、ようやく臨時特急は終点の名古屋駅に到着した。さて、本当の冒険はここからだ、泣いている場合ではない。駅構内の立ち食いきしめんで腹を満たし、いざ出陣。

 いきなり困った。名古屋駅のホームは数が多く、どのホームのどの電車に乗ればいいのか皆目見当がつかない。『○○方面』と書いてあるが、その○○の地名が西か東かもわからない。仕方なく駅員さんに聞いてみた。


 『すいません、横浜に行きたいんですけど、どの電車に乗ればいいですか?』

 『あぁ、新幹線ならあっちだよ。』

 『いや、鈍行で帰りたいんですけど。』

 『は?』


 そりゃ驚くはずだ。大きなリュックを背負った13歳の小さな少年が、名古屋から横浜まで鈍行で帰ると言っている。現代なら保護されるレベルかもしれない。それでも駅員さんは親切にホームを教えてくれた。お礼を言い、そそくさとそのホームへと向かう。

 しかしここでも困ってしまう。そのホームには、新快速・快速・普通の3種類の電車があった。新快速の車両は格好良いから、特急券が必要なのかもしれない。近くに駅員さんもいない。とりあえず普通電車の岡崎駅行きに乗ってみた。

 途中駅で当然のように新快速に追い抜かれる。とにかく進むのが遅い。このペースで横浜まで到着できるのか不安になる。やっと岡崎駅に到着する頃、車内アナウンスを聞いていると、『お急ぎの方は新快速をご利用ください。』と言っていた。

 そうか、よく考えてみれば、地元の京浜急行は特急券が無くても快速に乗れる。もう少し早く気付くべきだった。後悔先に立たず。

 岡崎駅から新快速の豊橋駅行きに乗り、東へ急ぐ。名古屋駅周辺に比べると閑散としてきた車内で、一人の昔のお嬢さんから声を掛けられた。


 『ボク、どこから来たの?』

 『鹿児島です。』

 『へー、遠くから来たのね。どこまで行くの?』

 『横浜です。』

 『新幹線に乗り換えるの?』

 『いえ、乗車券しかないので鈍行です。』

 『え?』


 また驚かれた。このとき少年は、豊橋付近から横浜までの距離感を理解していなかった。なんとなく、いや、きっと着くはず。母が用意してくれた切符なのだから、必ずその日のうちに着くに決まっている。漠然とした自信は、イコール母への信頼であった。


 『遠いから気を付けるのよ。』

 
 昔のお嬢さんはそう言って、一粒の飴をくれた。少年は受け取ると同時に泣き出した。ここまでずっと周りを警戒し、緊張の糸を張り続けていた。初めて声を掛けられ、優しさに触れた途端、涙を流してしまった。早く母に会いたい。改めて思った。

 豊橋駅から浜松駅行きの電車に乗り継ぐ。記憶が確かであれば、この辺りから横浜周辺の東海道線と同じ車両が登場し、もうすぐ『東京』行きの電車があるのでは、と勘違いしたことを覚えている。

 ここからしばらくは、終点→乗り継ぎを繰り返す。今、自分が静岡県のどの辺にいるのか知る術もなく、リュックを抱き締め、車窓を眺める。

 今日中に横浜まで着くのだろうか。そんな不安が爆発しそうなほど疲れ果て、ようやく熱海駅に到着し、次の乗り継ぎの電車を見たその瞬間、待望の2文字が目に飛び込んできた。


 【東京】


 やった!ついに東京行きの電車だ!この電車に乗れば確実に横浜まで着く。少年はホームに膝を突き、顔の前で両手の拳を握り締めて喜んだ。

 車内は混み合っていたが、なんとか座ることができた。そして、今までが嘘のように眠りについた。

 目が覚めると、電車は大船駅に到着したところだった。横浜まで、あと2駅。車内は混雑していた。

 リュックも無事だし、乗車券もある。よかった。早く母ちゃんに会いたい。

 横浜駅で京浜東北線に乗り換え、新子安駅へ。一人で無事に帰って来ることができた。いままでお世話になった乗車券を駅員さんに手渡し、駆け足で自宅へ向かう。

 鹿児島から一人で帰ってきたことを、母ちゃんや兄ちゃんに褒めてほしい。その一心で、無我夢中で走った。3階の自宅まで階段を駆け上がり、ドアノブに手を掛ける。

 しかし、残念ながら鍵が掛かっていた。鍵を開け、中に入ると、玄関の床に一枚の紙が置いてあった。


 【盆踊りに行ってきます。母。】


 少年は膝から崩れ落ち、こうして13歳の小さな冒険は終わったのである。

2012年10月15日 (月)

名古屋旅2012③

 頭が痛い。またぞろ二日酔いだ。カーテンを開けると、昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡っている8月12日の日曜日。

 10時のチェックアウトに間に合えばよいさと、タバコと缶コーヒーでのんびり一服。身体のだるさを感じながら、いつもの身支度を進めていく。

 忘れ物が無いことを確認し、旅の相棒である黒いバッグを右肩にかつぎ、フロントへ。お世話になりました。空を見上げると、見事なまでの快晴!今日も暑くなりそうだ。

 まずは大須観音方面に歩を進める。普通の雑居ビルでも新鮮に目に映るのが旅の不思議の一つ。地元の人にしてみたら日常の風景なのであろうが、私にとっては一期一会。そんなことを考えていたら、あっという間に大須商店街に辿り着いた。

 時間が早いせいか、まだ人影もまばらだ。右手の路地に目をやると、見慣れた看板が飛び込んできた。コメダ珈琲店。まるで名古屋へ来たときの必須の儀式かのように、今回もコメダでモーニング。これで10店舗くらいは制覇したであろうか。

 トーストとゆで卵を珈琲で流し込み、タバコを吸う。この普通の行動にさえも幸福を感じてしまうのだから、私も歳を取ったということさ。妙な感覚を抱きながら会計を済まし、灼熱になるであろう街中へ舞い戻る。

 さて、大須商店街へ来るのは記憶が正しければ5度目になる。必ず立ち寄る店舗もあれば、ようやく巡り会えた店もある。縦横無尽に広がる商店街をひた歩き、疲れたところでゲーセンスカイへ入店。冷房の風が心地良い。

 昨日に引き続き、競技卓へ参戦。戦績は忘れてしまったが、よい休憩になって満足。そろそろ昼食の時間だ。

 何を食べようか悩む。猛暑で食欲も落ちているのだが、とりあえず松坂屋蓬莱軒の混み具合でも見に行こう。道中、矢場とん本店の行列に辟易し、おそらく蓬莱軒も無理であろうとわかっていたが、案の定と相成った。90分も一人で待つほどの精神力は持ち合わせていない。

 返す刀で大須商店街へ逆戻り。路地裏の蕎麦屋できしざるを食して昼食は終了。満腹と言えばタバコ、タバコと言えばゲーセン。これが小生の方程式。目の前にあったアーバンスクエア大須店に入店した。

 ここは初めて入店したが、かなり広い店内に数多くのゲームが並んでいる。MFCを探していると、大きなダンスゲームに多くの人だかり。カップルが楽しそうに踊っている。私が通ってきた人生の中に、そんな楽しそうなステージは見当たらなかった。避けてきたのか、目が悪かったのか。まぁいいさ、お幸せに。

 奥まったところに赤い悪魔ことMFCが待っていた。こいつで人生が狂ったのか、それとも人生が楽しくなったのか、その答えには未だ辿り着いていない。

 ここでも競技卓に参戦し、タバコを1本だけ楽しんだ。

 そろそろ帰りの電車の時間が気になる頃合い。大須商店街の最後に訪ねる店はK-HOUSEと決めている。中古のCDやゲームを取りそろえた店だ。初めて来たのは10年ほど前。当時、店内に置かれているファミコンソフトの品揃えに興奮し、友人と一緒に笑ったその記憶を思い出すために訪問している。10年前の自分たちに再会した気分に浸りながら、記念に数本のソフトを購入し、大須商店街を後にした。

 地下鉄で名古屋駅へ。地下街エスカで温かいきしめんを食べ、お土産を購入して今回の名古屋旅行も終わりが近づいてきた。

 新幹線のホームの待合室にて、この2日間を思い返す。今回の旅も楽しかったなぁ。また来ることを心に決め、日常が待つ横浜へと舞い戻った。

 名古屋旅2012 fin.

2012年9月26日 (水)

名古屋旅2012②

 再会の待ち合わせは18時に名古屋駅。仮眠から目覚め、テレビを眺めながら身支度を進めていく。旅先では地域特有のテレビCMを見るのが楽しみの一つでもある。忘れ物を確認し、フロントに鍵を渡してホテルを出発。鉛色の空。強い雨が降りしきる。

 ホテル近くのローソンに立ち寄り、水とウコンドリンクを購入。いつものクセでPASMOにて精算しようとしたら、まったく反応してくれない。そうか、関東を離れるとPASMOは使えないのか。コンビニで小銭を使うのは久しぶりだ。そそくさと精算を済ませ、ウコンを飲み干し、てくてくと上前津駅まで歩を進める。

 栄駅で乗り換え、名古屋駅に到着。待ち合わせは大名古屋ビルヂングのATM前。どの改札から出れば良いのかもわからず、とりあえず最寄りの改札で駅員さんに尋ねてみた。

 『すいません、大名古屋ビルヂングに行きたいのですが、この改札で行けますか?』

 『は?目の前ですよ。』

 『え?』

 よく見てみると、たしかに大名古屋ビルヂングと書いてあった。お礼を言い、改札を抜ける。近くのATM前でいしじまさんが待っていてくれた。

 『遅くなりました。』

 駅ビル内の居酒屋に男2人で入店。時間が早いせいか、店内はガラガラだ。まずはビールで乾杯。

 つまみは名古屋ならではの品を選び、どて煮や手羽先でビールを飲み干す。うまい!

 2杯3杯と飲み進めていくうちに周りの客も増え、店も活気づいてきた。店内のモニターにはロンドンオリンピックの女子バレー3位決定戦が流れている。

 ほろ酔いになってきたところで、いしじまさんが用意してくれたマグネット将棋盤を広げ、いざ勝負。これが今回の旅のメインイベント。

 指してみて初めてわかったことは、相手が考慮中に雑談することができないため、2人だと長い沈黙が続いてしまう。それにもかかわらず、とにかく楽しい。酒を飲みながらの将棋がこんなにも楽しいとは思わなかった。

 将棋の結果は、いしじまさんの上手な差し回しの前に完敗。時の流れを忘れてしまうほど夢中になり、気付けば閉店時間が迫っていた。

 いしじまさん、ありがとうございました。とても楽しかったです。今度は横浜の居酒屋で将棋を指しましょう。

 名古屋駅でお別れし、行きと同じ電車で上前津駅まで舞い戻った。冷たい雨は姿を消し、心地良い風が吹いている。セブンイレブンに立ち寄り、充実の1日目が幕を閉じた。

 つづく

2012年9月19日 (水)

名古屋旅2012①

 それは8月1日の一本の電話がきっかけだった。

 当ブログで知り合った『いしじま』さんと将棋のネット対戦を終え、電話で感想戦をしていると、実際にお会いして将棋を指したくなってしまった。

 お盆休みの予定が無かったため、急遽名古屋への訪問が決定した。

 8/11(土)、二日酔いで迎えた朝。前日のオリンピック速報を見ているうちに、みるみる電車の時間が迫ってくる。

 そそくさと身支度を済ませ、最低限の荷物をまとめて家を飛び出した。

 新横浜駅までは15分ほどで到着。スタバでアイスラテを購入し、帰省ラッシュで混み合う新幹線のホームへ駆け上がる。

 小生は横浜生まれの横浜育ち。今も横浜に住んでいるため、帰省の経験が無い。この時期に遠出すること自体が初体験だ。

 通路側の指定された席に座り、漠然と時が流れていく。近くに喫煙ルームがあるためか、かなり多くの人が小生の脇を往来する。

 すると、向こうから目を疑いたくなるような若者が歩いてきた。鮮やかな黄緑色のモヒカン頭。北斗の拳に影響を受けたのであろうか、今にも『アベシ!』と叫びそうだ。

 彼は何処に向かっているのだろうか。そんなことを考えていたら、新幹線は無事に名古屋駅に到着した。

 駅のホームで一服していると、いしじまさんからメールが届いた。なんと名古屋駅まで迎えに来ていただけるとのこと。恐縮です。

 ビックカメラ前で再会を果たし、車で観光名所を駆け抜けながら、一軒のラーメン屋へ到着。ここは、いしじまさん行き付けの店とのこと。

 狭い店内に入ると、十数名の力士が客として座っていた。巡業中なのであろうか、物凄い威圧感だ。特製ラーメンを頂戴し、とても美味しかった。

 外に出ると、大粒の雨。お店の外観を写真に撮りたかったのだが、残念無念。

 近くのゲーセンに入り、天下一将棋会を1戦し、辛くも勝利。してやったり。

 この店にも麻雀格闘倶楽部は設置されているのだが、アングラなゲーセンを紹介していただけるとのことで、車で30分ほどの移動。

 着いた先は、とてもゲーセンがあるとは思えないほどの閑静な住宅街。車は何処からどう見ても普通の月極駐車場にしか見えない場所に停車した。

 20秒ほど歩くと、なにやら怪しい店構え。一見の客ではその扉を開けることすら恐怖を感じる。薄暗い店内には麻雀格闘倶楽部が8台ほど設置されていた。

 一番奥の台に腰掛けている男性にいしじまさんが声を掛ける。どうやら馴染みの大黃龍らしい。挨拶を済ませ、反対側で並び打ち開始。カードをかざすと、『おかえりなさいませ』の文字が浮かび上がる。やかましい。

 競技卓に参戦し、久しぶりにMFCを堪能した。たまに打つのが丁度良い。

 店を後にし、いしじまさんに宿泊先である東別院まで車でお送りいただいた。2時間後に名古屋駅で待ち合わせの約束をし、ホテルへチェックイン。軽くシャワーで汗を流し、テレビを見ているうちに旅の疲れか、知らぬ間に眠りについていた。

 つづく

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2011年12月17日 (土)

埼玉日帰り旅行2011

 事の発端は今から約8年ほど前に遡る。以前にも登場したS氏(2011.8.17我が良き友よ、をご参照ください。)と伊勢崎に向かう途中、1軒のバッティングセンターに立ち寄った。

 その名は、『桶川バッティングセンター』

 伊勢崎までの道中の気晴らしに立ち寄ったのだが、入ってみると奥行きの広さに驚嘆した。横浜のバッティングセンターに比べると、10メートルほど余分に奥行きがあり、ライナー性の当たりを打つと、その弾道を眺めるのが非常に楽しく、すぐ虜になってしまった。

 あれから8年、いつものI氏・K氏・S氏と4人で桶川バッティングセンターへ行くことと相成った。

 午前8時50分、予定より早くK氏の車が到着した。慌てて自宅を飛び出すと、車内には3人が勢揃いしている。

 「おはようございますw!」

 外は快晴。かなり冷え込んでいるが、旅行日和だ。コンビニで飲み物を購入し、いざ桶川。

 横浜から渋滞している首都高を北上し、徐々に埼玉県が近づくにつれ、テンションが上がってくる。

 約2時間をかけ、ついに桶川バッティングセンターに到着した。よかった、無事に営業している。手前のゲーセンコーナーは少し様相を変えていて不安になったが、いざ奥のバッティングコーナーへ足を踏み入れると、ここは8年前と同じままだ。してやったり。

 1回200円だが、どうやらカードを買うと1,000円で7回できるらしい。早速4人共有で2,000円分のカードを購入しバッティング開始。

 やはり素晴らしい。ライナーが奥のネットに当たる度に、心地良い快感が全身を駆け巡る。

 あっという間に2,000円分を消費し、一旦ゲームコーナーへ。懐かしい脱衣麻雀に100円玉を投入。私はまったく和了できずに終了したが、I氏は同じゲームで満貫をツモった。強い。

 30分ほどゲームを堪能した後、再度1,000円分のカードを購入し、バッティングコーナーへ。ラストを噛み締めるように打ち続けていると、場内から機械音のアナウンスが鳴り響いた。

 どうやらI氏が流し打ちでホームランのボードを打ち抜いたらしい。ホームラン賞として景品が貰えるとのことで、一緒に景品を見に行くと、なんと1,000円分のカードが展示されていた。受付でホームランを自己申告し、晴れて1,000円分のカードを無料でゲット。してやったり。さぁ、延長戦だ。

 くたくたな身体に鞭打って、最後まで白球と対峙を続け、大満足の一時と相成った。

 K氏の車に舞い戻り、次は川越へと車を走らせた。目的地はウナギの「いちのや」。ここも8年前の旅行で立ち寄った場所だ。S氏の希望で再訪が決定。

 桶川からの道中、空から降りてくるパラシュートが5つほど見えてきた。どうやらスカイダイビングのようだ。バンジージャンプには興味があるが、スカイダイビングは罰ゲームでもない限り、恐ろしくてやりたくない。

 長閑な風景を楽しみながら30分ほどで川越に到着した。時刻は午後2時前。どうやら客のピークが終わった頃のようで、さほど待たずに着席することができた。

 S氏とK氏は鰻重、I氏と私はひつまぶし。値段は張るが、大満足だ。8年ぶりの再会に感激しているS氏の表情は、私にとって忘れられない思い出になろう。

 腹を満たし、川越の蔵造りの街並みを散策しようとしたのだが、地図も見ずに車を走らせていたら、見当違いの場所のパーキングに停めてしまったようだ。

 しかし、おかげで川越駅前の繁華街も見ることができ、とても楽しかった。

 母親への芋菓子を購入し、自分への土産として日本酒『鏡山』を購入した。

 土産を選んでいる際、疑問に思ったことは、芋をプッシュしている割に芋焼酎を売っていないことだ。『川越』という名の焼酎があるにもかかわらず、なぜ販売されていないのであろうか。不思議でならない。

 なお、『川越』という焼酎は、宮崎の焼酎だと知ったのは、自宅に戻った後での話。

 すっかり陽も暮れ、後ろ髪を引かれる思いで横浜へと舞い戻った。ジョナサンで旅の話をし、来年は草野球・ゴルフ・温泉旅行に行くことを約束し、とて充実した一日が終了した。

 みんな、ありがとう!

2009年9月23日 (水)

雑記:新潟旅行③

2009年9月13日(日)

 旅の2日目。軽く二日酔いの感覚が残り、寝ては覚めての繰り返し。朝食の時間ギリギリまで布団の中から出られなかった。

 そんな中、友人の1人は5:00頃から海岸線をジョギングしていたらしい。頭が下がる思いだ。私も見習わなければなるまい。

 朝食は、程よい量だったため、最後まで美味しく頂戴した。やはりこの宿の味噌汁は美味い。

 民宿のお兄さんに美味さの秘訣を聞いてみた。

 
 『とくに特別なダシとか使ってないんですけどね~。』


 最後まで秘密は暴けなかったが、また必ず食べに来たいと思わせる不思議な魅力のある味噌汁だ。

 会計を済ませ、さて出発しようと思ったら、突然外が嵐となった。横殴りの雨。なんてツイていないのだろうか。

 雨の中、とりあえず向かったのは、弥彦山の頂上。たまたま、弥彦山ヒルクライムという自転車レースが開催されていた。友人の1人が自転車を趣味としているため、ぜひ観戦しようということになった。

 山の上に到着すると、とんでもない突風が待ち受けていた。こんな悪条件の中で、本当にレースは行われているのであろうか。

 半信半疑のままゴール地点に向かうと、なんと先頭は既にゴールしていた。しばらくの間、ゴールする選手を観ていたのだが、登り坂を想像以上のスピードで駆け抜けていく。凄い。観戦できて本当に良かった。

 レースも終わり、山を下る前に日本海を眺めると、そのコントラストに驚嘆した。波打ち際は泥色に荒れ狂い、沖合いはエメラルドグリーンに輝いている。なんとも形容のしがたい不思議な光景に目を奪われた。

 それにしても寒い。私以外は、みんな長袖シャツなのに、私だけ半袖。ガチガチと震える体を両腕で包むように車内に飛び込む。

 昨日も立ち寄った寺泊の市場でお土産を購入し、つまみ食いをした後、海岸線を南に走らせた。

 荒れ狂う日本海。波消しブロックの向こう側は、まるで地獄絵図だ。

 雨は風を味方にして、車に容赦なく体当たりをしてくる。

 最悪のコンディションではあるが、この方が記憶に残り、良い思い出になろう。

 車を走らせて約1時間。道路は海岸線に別れを告げ、突然異様な雰囲気となる。


 ・東京電力 柏崎刈羽原子力発電所


 その周辺は高いバリケードと樹木で覆われており、物々しさを感じる。

 一度は通り過ぎてしまったが、戻ってみると出入口のゲートを発見。数多くの警備員が配置され、厳重に警備がされている。

 そんな緊張感のある周辺で記念撮影。場違いこの上ない。

 そばに東京電力のパビリオンがあったため、原子力発電について社会科見学。原発1基で約40万世帯の消費電力を賄うことができるそうだ。

 
 『・・・ってことは、40万世帯が太陽光で自家発電すれば、原発1基減らせるじゃん。』


 友人が発した言葉は、とても大きく私の心に響き、色々と考えさせられる訪問と相成った。

 単に観光名所を巡る旅行も楽しいのであろうが、現代の日本の問題点を考える旅も必要であろう。

 パビリオン内にある喫茶店でブルーベリーチーズケーキを食し、柏崎駅前に向かった。

 老舗の雰囲気を醸し出す蕎麦屋に入り、私はカレー南蛮を注文した。冷えた体を温めてくれる優しい味だ。

 さて、楽しかった旅も幕を閉じる。後ろ髪を引かれる思いで柏崎ICへと向かい、帰路に着いた。

 1泊2日の短い旅、かつ、最悪の天候ではあったが、とても充実した旅行であった。

 新潟よ、ありがとう。

2009年9月20日 (日)

雑記:新潟旅行②

2009年9月12日(土)

 10年前のメンバーに1人が加わり、男4人での新潟旅行。

 それぞれの住まいは、横浜・埼玉・茨城と離れているため、集合場所は埼玉県の鴻巣駅となった。

 横浜駅から湘南新宿ラインの始発に乗り込み、AM7:51に到着。

 友人のワゴンに乗り込み、男4人でワイワイと関越道をひた走る。

 外はあいにくの雨模様。風も強く、サービスエリアに立ち寄る気にもなれない。

 しかし、関越トンネルを抜けた頃から次第に雨足は弱まり、傘を差さないで済む程度となった。

 塩沢石打SAで休憩し、観光する場所を決める。話し合いの結果、長岡駅周辺へ向かうこととなった。

 長岡駅は上越新幹線が停まるだけあって、駅周辺もそこそこ開けている。近くの定食屋で刺身定食を食べ、長岡城跡へ向かった。

 途中、一軒の酒屋に立ち寄った。優しそうなご主人におすすめの日本酒を尋ねてみた。

 『こちらの八海山とか、緑川とかですかね~。』

 聞いてはみたものの、実は最初から、購入する日本酒は決めていた。

 それは、『越州』

 以前の新潟旅行の際にファンになり、越州が大好きなことを伝えると、ご主人はとても嬉しそうな顔をされていた。

 会計を済ませると、その主人が黙ったまま冷蔵庫に向かい、一本の日本酒を持って来た。

 『これ、八海山の原酒なんです。荷物にならなければ、ぜひ持ってってください。』

 なんとなんと、一本まるごと頂戴してしまった。聞いたところ、その主人は以前、越州の酒造メーカーである朝日酒造さんに勤めていたそうだ。越州について熱く語る私の姿を見て、とても嬉しかったそうな。

 ご主人、ありがとうございました。大切に飲ませていただきます。

 その後、寺泊へ向かい、市場で色々とつまみ食いをして、お土産を購入し、いざ今宵の民宿へと向かった。

 懐かしい海岸線。10年前の記憶が蘇る。一番期待していた夕焼けは、残念ながら分厚い雲に遮られてしまった。無念。


 『あった!』


 民宿まつや。10年前は入り口が砂利道だったと記憶しているが、今では綺麗になっている。ケータイで記念撮影。再訪できるとは、感無量とはこのことか。

 部屋には鍵も無く、いかにも田舎の民宿である。カップルには厳しいであろうが、男だけの我々にとっては全く問題ない。

 近くの日帰り温泉に出向いて、一日の疲れを癒し、宿に戻れば豪華な料理が待っていた。肉は無く、豊富な魚介類が所狭しと置かれている。真ん中には、1人1匹ずつのベニズワイガニ。少食の私には、食べきれる量ではなく、少し残してしまった。申し訳ない。

 部屋に戻り、越州と越乃寒梅で新潟に乾杯。美味かった。男4人の語り合いは、まるで大学生に戻ったかのように楽しく、また忘れたくない思い出ができてしまった。

 時刻は1:00。名残惜しいが明日も早い。ほろ酔いのまま気持ち良く就寝し、1日目が終了した。

つづく

2009年9月18日 (金)

雑記:新潟旅行①

 今から10年前。大学4年生の夏休み。周りは、内定が取れた者と取れない者で色分けされていた。

 そんな中、私は就職活動を一切せず、卒業後もパチスロで稼いでいこうと考えていた。

 就職活動を終えた友人達と遊ぶ日々が続き、男3人で旅行の計画を立てる。

 計画と言っても、決まっているのは集合する場所と時間だけ。深夜1時に友人が車で私の家まで迎えに来てくれた。

 3人が集まり、車中で目的地を考える。

 『日本海、って見たことある?』

 横浜で生まれ育った3人にとって、日本海は未知の領域。日本海の荒波と言われるくらいだから、さぞかし演歌の似合う海なのだろうと想像し、宿も決めずに夜の関越道をひた走った。

 当時はカーナビも無く、サービスエリアに置いてあった頼りない地図を見ながら、なんとなく中之島見附ICで高速を降りた。

 料金所のオッチャンに港の方向を聞き、それだけを頼りに走り続けた。そして辿り着いたのは、佐渡島へのフェリー乗り場がある寺泊港であった。

 生まれて初めて見る日本海は、まるで湖のように穏やかで、朝の陽の光を受けてキラキラと輝いていた。イメージとの違いに戸惑いを感じたのを今でも覚えている。

 海沿いを走りながら、今夜の宿を探す。すると、民宿『まつや』の看板が目に入る。友人のあだ名が『まつ』であったため、それだけの理由で門を叩いてみた。

 時刻は、朝の9時。普通であればチェックアウトの頃合いであろうに、『今夜、泊まれますか?』と聞いてみる。

 『大丈夫ですよ。』

 これにて宿は確保できた。女将さんに観光スポットを聞き、弥彦山や新潟市内を観光した。

 途中、立ち寄った酒屋で越乃寒梅を発見し、すぐに購入。昔、こち亀で幻の日本酒と紹介されていたが、新潟では普通に売っているようだ。

 夕暮れ時、日本海の真ん中に大きな太陽が沈んでいく。海岸線の岩場で男3人、静かに夕焼けを見つめていた。

 あまりの雄大さに、言葉は必要としなかった。あの美しさは今でも忘れられない。

 宿に戻り、晩ご飯。1泊8,400円とは思えないほど豪華な料理が並んでいた。その中でも、一番強烈な印象を残したのが、米と味噌汁である。こんなに美味しいと感じたことは、後にも先にも記憶が無い。とにかく美味かった。

 食後に部屋で越乃寒梅を堪能し、新潟の魅力に支配されていったのである。

 あれから10年の間に、別のメンバーで2回ほど新潟を訪れているが、今回はあの時と同じメンバー、かつ、同じ民宿を訪れることと相成った。

 大学時代の友人と、10年の時が経ってなお楽しく旅行ができる喜びは、何事にも代え難い。

つづく

2009年4月10日 (金)

雑記:京都桜旅

 先日、1泊2日で京都へ行って来た。MFCの旅打ちではなく、純粋な桜散策の旅行である。

 30過ぎの男なのだから、普通であれば彼女との旅行を想像されるであろうが、今回は人生初の母親との旅行である。

 ここ最近、私は体調が悪く、もしかしたら短い命かもしれない。元気なうちに親孝行をしておかないと後悔してしまいそうな気がしており、今回の旅を企画した。

 桜満開の京都に舞い降り、哲学の道・永観堂・南禅寺・蹴上インクライン・円山公園・醍醐寺・平野神社・嵐山・京都御所・二条城。桜の名所という名所を駆け巡った。

 好天に恵まれ、どこも桜が満開で、喜ぶ母親の姿が印象的であった。

 強行日程であったため、私は疲労困憊であったが、もうすぐ67になる母親の方が元気だったことに驚いた。

 行くまでは恥ずかしく感じていたのだが、行ってみれば親孝行も良いものだと感じた2日間であった。

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2008年11月23日 (日)

鎌倉散策

 午前中、将棋のNHK杯を見入ってしまった。深浦-堀口(一)戦。居飛車の本格派同士の戦い。相矢倉の熱戦を楽しんだ。

 その後、いつもの身支度をして家を出て、昨日の記事で書いたように、古都鎌倉へと向かった。

 北鎌倉駅から鶴岡八幡宮方面へと向かって歩いて行く。まだ紅葉は三分程度か。渋滞する道路を尻目に、辿り着いたのは建長寺。境内を隈なく散策し、最後に現れたのは200段以上の階段。苦しい思いをしたが、頂上から見える富士山の姿は雄大であった。明日から筋肉痛であろう。

 その後、鶴岡八幡宮へと到着したが、あまりの人ごみでビックリしてしまった。小町通りも人で溢れ、買い物どころではない。

 結局ゆっくりできずに、そそくさと電車に乗って鎌倉を後にした。帰り際、夕暮れに映える富士山は見事だった。

 横浜に到着し、1戦だけ半荘Sリーグを打ち、

 4

 やらなければ良かった。後の祭りか。

【本日の戦績】
金-2

累計602個